「俺はお前が仕事を達成できないことを、どれだけ悲しんでいるか分かるか。昨夜もお前のことを考え、枕は涙に濡れた。寝苦しかった。どうやったら、お前にパワーをつけることができるかと、そればかりを考えている」
ひと時代前で言えば、こうした上司の言葉は、もしかしたら胸温まることであったのかもしれない。それほどまでに部下を思い、仕事の達成を考える優れた上司として、慕われたことだろう。しかして今日にあっては、こうしたことを部下に言えば、それはほぼパワハラとなるのだ。すなわち、仕事上での嫌がらせに匹敵する疑いがある。
「あんたに俺のことを考えてもらう必要はない。俺は俺でやっている。俺のことを考えていて眠れないなどは、嫌みな言葉としか思えない」。上司に前記のようなことを言われ、腹の中でそう考える若手社員の数は増えている。ましてや女性社員であれば、もっと大変だ。「私のことを考えて涙で枕を濡らすのは、キモいからやめてちょうだい。何とおぞましい」と胸の中でかの女性社員がそうつぶやいているならば、パワハラに加えてセクハラの罪もかぶることになるのだ。なんとまあ、生きにくい世の中になったのだろう。
それはともかく、政府の提唱する「働き方改革」を一直線に遂行しようと思えば、実は大変な壁に突き当たる。ひと時代前の常識は通用しない。何しろ政府が事実上「残業は控えてほしい。できればゼロに」「有給休暇は義務である。命令してでも取らせろ」などと声高に叫んでいるのであるから、企業経営者もビビリに入らざるを得ない。
ところが、こうした時代に柔軟に対応し、従業員第一の健康経営を前面に打ち出す企業が熊本にある。しかもこの企業は新工場も建設し、大きく売り上げ上昇を狙っている。その企業の名前は池松機工(熊本県菊池郡大津町大津字合志ヶ水2502-3、Tel.096-293-7666)という。
「鉄は熱いうちに打て。だから自分はスパルタ方式で若い人たちに鞭打っている。そんな言葉を出せばパワハラだと言われる時代なのだ。しかして重要なのは、今の若い人たちの考え方やスピリッツをよく理解し、その心と体の健康を徹底的に守ることにある。それが企業の成長につながると思う。私たちは健康経営企業として厚生省や経産省に認定されるに至った。何よりも安全な環境と働きやすい職場、そして社員の健康維持のための努力、これが大切な時代になってきた」
こう語るのは、池松機工の代表取締役の池松康博氏である。池松機工は約10億円を投入した新工場を2019年3月25日に立ち上げた。高額機械の5軸マシニングセンターを2台も導入したのだ。今後は脱着ロボットの導入も考えており、自動化を推進することで社員の労働時間を短縮していくことに全力を挙げている。無人化を進めながら企業の付加価値を上げていくという戦略なのであり、これが周囲の企業にも多くの好影響を与えている。
「月に6回は会社のお金で社員をトレーニングジムに通わせています。働く人たちの健康は何よりも大切なものです。実際のところ、めいっぱい働いて、病気で休む人たちが増えれば、会社にとっては大変な痛手になります。健康を守ることが実は生産性向上につながるという図式が成立するのです」
こう語るのは、同社で経営企画室兼営業推進課課長の任にある岩崎真紀氏である。岩崎氏は池松機工が始まって以来の初の女性課長に抜擢された人であり、女性力活用が彼女のミッションの1つでもあるのだ。社員85人のうち女性は13人を占めているが、働き方改革を推進すれば、生き方の多様性を認めることになる。女性にとっても結婚し、子供を産んで、なおかつ勤めを続けられることの意味は大きい、と彼女は主張する。
確かに、男の論理は常に「こうあらねば」ということに尽きる。要するに柔軟性がないのだ。これに対して女性たちは細やかな感性を持ち、なおかつ男性では気が付かない仕事のやり方などを提案できることが多いという。同社にあっても女子会の輪は広がっており、意見を出しやすい雰囲気づくりも進んでいる。安全、衛生、環境に配慮できれば、女性は素晴らしい能力を発揮するのだ。
「有給義務化、残業・夜勤の制限、空調などのスマートな環境の確立など、働き方改革は私たちに意識の変革を迫ってくる。しかして、こうした押し付けに屈するのではなく、自分たちがそうした意識に目覚めて、バリバリに健康を維持しながら成長を続けるという企業に変身していけばよいのだ」(池松社長)
池松機工は半導体/FPDの製造装置のユニット組立や切削加工などで大きく頭角を現して来た企業だ。精密部品加工はお家芸といってもよい。様々な分野にも参入しFAや金型加工にも強い。健康経営を胸に掲げて、そう遠くない将来30億円以上の売り上げを達成したい、という池松代表の目標は社員すべての胸に刻まれていることは間違いない。
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泉谷 渉(いずみや わたる)略歴
神奈川県横浜市出身。中央大学法学部政治学科卒業。35年以上にわたって第一線を走ってきた国内最古参の半導体記者であり、現在は産業タイムズ社 社長。著書には『自動車世界戦争』、『日・米・中IoT最終戦争』、(以上、東洋経済新報社)、『これが半導体の全貌だ』(かんき出版)、『心から感動する会社』(亜紀書房)、『君はニッポン100年企業の底力を見たか!!』(産業タイムズ社)など27冊がある。一般社団法人日本電子デバイス産業協会 理事 副会長。全国各地を講演と取材で飛びまわる毎日が続く。