「力というものは物理量の基本だ。加速度センサーはニュートンの法則をそのままデバイスにしたものである。ジャイロセンサーはコリオリの法則を事業化しただけのこと。そしていま求められているのは力覚センサーなのだ。」
こともなげにこう語る人は、ワコーテック(富山県高岡市)というベンチャーを率いる代表取締役(工学博士)の岡田和廣氏である。「この人は中々面白そうだよね」という感じでフムフムと岡田氏の話を聞いていたら、とんでもないことに気がついた。MEMSセンサーとして大爆裂した3軸加速度センサーのことを思い出したのである。そう、誰あろうこの岡田氏こそ、1992年12月にピエゾ抵抗型の3軸加速度センサーを世界で初めて開発し、世の中をあっと言わせた男なのだ。その後、岡田氏はジャイロセンサーも世に出すことで、世界にその名を知られていくことになる。
「私は埼玉県上尾に生まれ、実家は鎌倉時代から23代続くと言われている古い農家の出。上智大学で学び卒論は半導体の物性であり、これはフランス語で書いた。大学院まで進み、多くの友人たちが日立や東芝に就職していくなかで、私が選んだ会社は何と某電線メーカーであった。」(岡田氏)
なにゆえに岡田氏が電線メーカーを選んだかと言えば、当時光ファイバーが一気に盛り上がって来た頃であったが、多くの幹線ケーブルは銅線を束ねたものであった。幹線ケーブルにピンホールがあると漏話の原因となり、その位置を特定するために、等間隔で圧力センサー(MEMS)を埋め込む必要があった。当時、会社には半導体のできる人はほとんどおらず、岡田氏はまさに独断と偏見でこの開発に突き進む。
「いくら金を使ってもいいと言われた。人もいくらでも集めろというので、事業開始時には全部で40人程度のスタッフが集まった。タクシー券は束でもらい、夜9時を過ぎたら、タクシーで帰った。30歳前後の男がこんなことをしていて許されるのかというほど、人に優しいカンパニーであった」
数年の後に岡田氏は圧力センサーを作り上げてしまう。量産まで持ち込んだことで、会社では最高位の評価であったという。ところが岡田氏はまたも次の開発に向けての志が芽生え始めた。もうこうなれば一人でやるしかないとの思いで、退職2年後の1988年9月にワコー(WACOH、埼玉県上尾市)という会社を設立する。そしてこれまた、ほんの数年のうちに3軸加速度センサーを作り上げてしまうのだが、この製品はゲーム、スマホさらには自動車などに使われ、MEMSセンサーとして爆発的なヒット商品となり、世界で5000億円の市場を作り上げてしまう。
「ところで、画期的なアイデアが出てくるのは、常にトイレである。寝ている間に様々なアイデアが夢の中でクロスオーバーし、朝起きてまったりと10分ぐらいトイレに入っていると、電撃のようにひらめくプランがある。それを急いで何かに書き付ければ、あっという間に特許は生まれてしまう。」(岡田氏)
岡田氏は何と国内外で350の特許(登録率98%)を持つ男なのである。そしてその岡田氏が今最も注力している開発製品は、静電容量型6軸力覚センサーである。このセンサーは産業用ロボットの力制御、バリ取り、研磨作業などで使われるものであり、ロボットのアームに多く取りつけられている。国内シェア90%(富士経済調査)を持つ驚くべきセンサーなのである。数々のセンサー開発で、世の中の人を驚かせてきた岡田氏は、いよいよIoT時代のヒーローとも言うべきロボット大量産に向けて、力強い作戦を開始することになる。
「この静電容量型6軸力覚センサーはまさに優れものではあるが、今はロボットの手首にしか使われていない。これをすべての関節に入れていきたい。ただ、いかんせんサンプル価格で20万円と高額になってしまうため、何としてもコストダウンを図りたい。このためには量産工場を作るしかない。土地の手当てを含めて現在準備中であり、ロボット時代本格化に大きく貢献するために私の命はまだあるのだ、と心に誓っている」(岡田氏)
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泉谷 渉(いずみや わたる)略歴
神奈川県横浜市出身。中央大学法学部政治学科卒業。35年以上にわたって第一線を走ってきた国内最古参の半導体記者であり、現在は産業タイムズ社 社長。著書には『自動車世界戦争』、『日・米・中IoT最終戦争』、(以上、東洋経済新報社)、『これが半導体の全貌だ』(かんき出版)、『心から感動する会社』(亜紀書房)、『君はニッポン100年企業の底力を見たか!!』(産業タイムズ社)など27冊がある。一般社団法人日本電子デバイス産業協会 理事 副会長。全国各地を講演と取材で飛びまわる毎日が続く。