ココ・シャネルのことを書いた本を読んでいる。実にこれが面白いのだ。もっとも、本屋で「これください」といった時に若い女性の店員は、こちらをかなりアブナイ人という視線で見ていたのが気になる。「男が女性ファッションの本を読んで何が悪い」と心の中で思ったが、そういえばこの前、女性下着の文化・歴史に関する本を買った時にも同じ思いをしたことを覚えている。
それはともかく、ココ・シャネルの哲学は「人と同じことをしていたら、際立つモードは生まれない」ということに尽きるだろう。喪服の色であるがゆえに絶対に嫌われた「黒」を最先端モードに持っていったシャネルの言い分はこうなのだ。たくさんの人が来ているパーティーではそれぞれの女性がこれとばかりに赤、黄、緑、青、はてはゴールドなどの色鮮やかな衣装を身にまとって来る。しかして、その中に黒一色の女性がいれば、それはいっそう際立つ。つまり、一番人の目を引くことになる。そしてまた白一色も鮮やかであり、目立つことになる。
「黒と白」の美学を成立させたココ・シャネルは世界中の女性を虜にしてしまう。彼女の主張はシンプルであること、バカげた色を使わないこと、そして何よりもモードは女性の主張、哲学、文学、言葉でなければならない、と言っているのだ。
そんな思いで、地方に出かけた折に洒落た日本家屋の喫茶店に入っていったところ、中庭は黒塀と白砂、そして枯木という風情であった。何と素晴らしい、これが日本の美学だと思った時にココ・シャネルの言葉を思い出した。日本の“粋”の文化はフランスのシャネルにもつながるのだと深く思い詰めてしまった。
国宝姫路城をはじめとする日本の城郭には鮮やかな色がない。まさに黒と白の美学に貫かれているが、その向こうには実のところ様々な色が隠されている。最近のインバウンドの人たちはこの日本文化の凄味についてはっきりと気がつき始めた。外光を決して直接家屋内に入れることなく、障子を通して入ってくる「和光」の柔らかさ。ただ農業を営むだけではなく、「棚田」という工夫で美しさを出す細やかさ。実のところ、「黒と白の美学」に代表される日本文化を本当に分かっていないのは、今の日本人なのかもしれない。
モノづくりにおいても日本の美学は生きている。半導体回路の分析をするカンパニーに行ったところ、回路が美しく設計されていなければ、それはホントに良いものではない、と言われた。ある町工場で研磨工程を見ていたら、美しくないものは作りたくない、とまで言っていた。美術工芸の世界ではない。単なる部品加工の世界なのだ。それでも日本のモノづくりは「美しさ」を求めてひときわ存在感のある製品を作っていく。極彩色の中国に勝てる製品を作っていく。
それにしても、昨今の人たちは“粋”であることから、はるかに遠くなってしまったと思えてならない。2人のカップルが仲良くしている席を見つけたら、独り者のこちらはかなり離れたところに座る。「好きだ」と言葉に出さないで、梅一輪をそっと部屋の中に置いていく。野外で排泄をする時に「花を観に行くの。待っててね」とさりげなくいう。こんなことを理解できないヤツは、江戸時代であったら「野暮てん」とバカにされたのだ。こんな話を実家の横浜のそば屋でしていたら、「おまえこそが野暮てんで、しかも下品だ」と散々にやりこめられてしまった。
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泉谷 渉(いずみや わたる)略歴
神奈川県横浜市出身。中央大学法学部政治学科卒業。35年以上にわたって第一線を走ってきた国内最古参の半導体記者であり、現在は産業タイムズ社 社長。著書には『自動車世界戦争』、『日・米・中IoT最終戦争』、(以上、東洋経済新報社)、『これが半導体の全貌だ』(かんき出版)、『心から感動する会社』(亜紀書房)、『君はニッポン100年企業の底力を見たか!!』(産業タイムズ社)など27冊がある。一般社団法人日本電子デバイス産業協会 理事 副会長。全国各地を講演と取材で飛びまわる毎日が続く。