念願のことであったが、ようやくにして百済に出かけることができた。日本人のルーツともいわれる百済の文化を見たくて仕方がなかった。百済は紀元前から存在しており、663年に新羅によって滅ぼされるが、日本との交流は実に奥深いものがある。
「朝鮮半島の歴史を背負ってきた百済が滅びる時に、日本の大和朝廷は大量の援軍を送ってくれました。残念ながら唐・新羅の連合軍によって663年の白村江の戦いで敗れ、国は滅びてしまいました。しかし、私たちはその時の日本の支援を忘れていないのです」
切々と、しかし和やかな笑みを浮かべてこう語るのは、百済、つまり現在の公州を訪ねた時の通訳の言葉である。大体が、会ったとたんにこの女性はなれなれしかった。まるで昔の友達に会うかのように話しかけてきた。白村江の戦いから1355年も経つというのに、筆者が大和朝廷の役人であるかのように、お礼の言葉を述べたことにはとにかく驚かされたのだ。
「私は日本が大好きです。もう十数回は行っています。法隆寺には2回も行きました。ああ、ここには百済が生きているのだと思えてなりませんでした」
この女性通訳は、遠くを見るような目でうっとりしてこう語るのである。筆者もこの人の時間感覚に合わせるしかないと思い詰め、日本にある百済観音にはあなたたちの心が宿っているように思うと述べたところ、もうハグされてしまうほどの親密さであった。
法隆寺を作った金剛組は世界最古の会社として現在も続いている。これはサプライズなことである。そして金剛組を立ち上げた人たちはもちろん百済人なのである。そしてまた、百済という国が亡びるときに当時の大和朝廷は大量の援軍を出すのであるが、なにゆえに隣国の百済を助けようとしたのか、よくわからない。
日本に帰ってから知り合いの韓国人の女性に問うたところ、驚くべき答えが返ってきた。
「だって私たちは兄弟なのよ。兄が苦しいときに弟が助けるのは当然のことじゃない。」
ちなみにその女性も百済の女性であり、忠清南道の扶余郡の出身であり、この人もうるんだ目で筆者を見つめ続けるのであった。
扶余には韓国最大規模の歴史テーマパークである歴史再現村が最近になって建てられ、百済時代の王宮や寺院が復元されている。そしてまた、定林寺跡には韓国最古の建造物である五重石塔があり、この存在感には圧倒された。公州の一大古墳群はユネスコ登録の世界遺産であるが、これまた時空を超えたその素晴らしさに息を飲んだ。
「最近になって、日本の人たちが百済を訪れる機会は多くなっています。そして、来た人たちは時間を忘れて夢中になって、百済の歴史地区を見ています。そこでは何かの血が騒ぐのでしょう」
こう語るのは、付き添ってくれた公州市の役所の方々である。1355年の時を超えて百済の人たちと自分は同じ時間を共有し、二元論では語れない虚実をも共有している、という不思議な感覚になった。
それにしても、昨今の日韓をめぐる問題を考えた場合、いかがなものかという感慨がある。「徴用工」「レーザー照射」などのことで険悪な状況にあり、政府自民党の一部には韓国に対して「フッ化水素の輸出を禁じてしまえ」との声さえあるのだ。そうなれば、サムスンもSKも半導体を作れなくなってしまう。「親韓派」を自認する筆者としては、百済の人たちの声を両国政府に聞かせたいと思えてならない。
(企業100年計画会報より転載)
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泉谷 渉(いずみや わたる)略歴
神奈川県横浜市出身。中央大学法学部政治学科卒業。35年以上にわたって第一線を走ってきた国内最古参の半導体記者であり、現在は産業タイムズ社 社長。著書には『自動車世界戦争』、『日・米・中IoT最終戦争』、(以上、東洋経済新報社)、『これが半導体の全貌だ』(かんき出版)、『心から感動する会社』(亜紀書房)、『君はニッポン100年企業の底力を見たか!!』(産業タイムズ社)など27冊がある。一般社団法人日本電子デバイス産業協会 理事 副会長。全国各地を講演と取材で飛びまわる毎日が続く。