「大好きな歌手は誰ですか?」と問われることがある。少しためらった後に思い切り、大きな声ではっきりと「それは何といっても松田聖子です」と答えることにしている。たいがいの女性はそれまでのにこやかな笑いを引っ込めて、「見下げ果てたヤツだな、こいつは」という目線になるのだ。何しろ、十年以上にもわたって「女性が大キライな女性ランキング第1位」に輝いた歌手であるからして、それは当然のことなのだろう。男性の場合も「ふーん。そうなんだ」と言いながら、やはり自分に対しては上からの目線になっていることが多い。
しかして「大好きな音楽は何ですか?」と聞かれれば、ためらいもなく「それはヨハン・セバスチャン・バッハです」と答えることにしている。とりわけのお好みは無伴奏チェロ組曲と無伴奏バイオリンによる様々なパルティータなのである。いや、もしかしたらブランデンブルグ協奏曲の3番1楽章かもしれない。全く同じ人物からこの2つの質問を受け「松田聖子とバッハだね」と答えると、たいていの場合はけげんな顔をされるのだ。
筆者は心の中で「あなたは聖子とバッハが共存する世界、つまりは落差の美学が分からないのですか」とつぶやいている。かなり昔のことだが、聖子の前に山口百恵というカリスマ伝説の歌手がいた。ソニーのコマーシャルであったと記憶しているが、百恵のひと夏の経験(歌詞=あなたに女の子の一番大切なものをあげるわ。きれいな涙色に輝く大切なものをあげるわ)が流れるなかで、バッハとベートーヴェンとブラームスがこれをヘッドフォンで聞いていて(ほぼ泣きながら)、3人ともが「も、ももえちゃーん」と絶叫するのだ。このCMは何回観ても笑い転げてしまうのだった。これぞ「落差の美学」であった。
この世の中には2つの相反するものが常に同居している。聖と俗、主体と客体、表面と裏面、公と私、たし算とひき算、現実と夢、中心と周縁、真と偽、生と死、正と負、理性と狂気、デブとヤセ、過剰と欠如、まあ数え上げればキリがない。
物事を二元論で捉えていくのは当たり前のことであるが、聖と俗が共鳴していく世界、または聖と俗が増幅し律動していく世界は実のところは同一化している。つまりは一元論に帰っていくのだと思えてならない。山口百恵の通俗な「あげちゃうソング」を聞きながら、バッハがすばらしく聖なる曲を思いつく、というところがかのコマーシャルのミソなのだ。
普段と全く違うことをしていて、ある時とんでもないアイデアが浮かぶことがある。かなり前のことであるが、東芝の天才プロセスエンジニアといわれる人と話していた時に、半導体のデュアル・ダマシン構造の製造プロセスがどうしても見つからないと言っていた。しかして、彼はもうどうにでもなれ!とばかりに、仕事を投げ捨ててスキーに行ってしまった。大雪原を気持ちよく滑っている時に、氷が吊り下がって柱状になっているのを見て「そうだ!ピラー構造だ!!」と思いついたという。そういえば、つくば万博の時に来日した世界初のIC発明者、ジャック・キルビーもまた「プールで泳いでいた時に、トランジスタをさらに集積したICの概念が突如としてひらめいた」といっていた。
街角にあるオブジェが
創造性をかきたてることも多い!!
そんな天才の方々とはレベルは全く違うのだが、筆者もまた新しい企画を思いつく瞬間は、決して机に向かっている時ではない。怒涛のように言葉が次々と舞い降りてくる瞬間は、パソコンに向かっている時ではない。それは夕暮れ迫る大井競馬場であったり、場末のいかがわしいストリップ劇場であったり、耳をつんざくほどうるさいパチンコ屋の中であったりするのだ。これを親しい知人に話したところ、それはまあ分かるが、おまえはロクでもないところにしかいないのだな、と言われてしまった。
落差の美学の向こうには限りない創造性が転がっているのだ。さあ、今度の休日もニーチェの『ツァラトゥストラはかく語りき』を手に川崎競馬場に行き、イカの燻製を頬張りながらワンカップ大関をガブ飲みし「まくれ!まくれ!ウソの3-6かあ。それとも3-5(産後)の大穴かい」と叫びまくることにしよう。
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泉谷 渉(いずみや わたる)略歴
神奈川県横浜市出身。中央大学法学部政治学科卒業。35年以上にわたって第一線を走ってきた国内最古参の半導体記者であり、現在は産業タイムズ社 社長。著書には『自動車世界戦争』、『日・米・中IoT最終戦争』、(以上、東洋経済新報社)、『これが半導体の全貌だ』(かんき出版)、『心から感動する会社』(亜紀書房)、『君はニッポン100年企業の底力を見たか!!』(産業タイムズ社)など27冊がある。一般社団法人日本電子デバイス産業協会 理事 副会長。全国各地を講演と取材で飛びまわる毎日が続く。