杜の都仙台に拠点を構える東北大学は、1907(明治40)年に東北帝国大学として創立された。東京大学や京都大学と一味違うのは、その反骨精神である。1913(大正2)年には当時の政府の圧力に全く屈することなく、日本の大学としては初めて3人の女性の入学を許可したのである。
中国でもっとも有名な文学者の一人である魯迅は『阿Q正伝』『狂人日記』『藤野先生』などの作品で日本においても人気があるが、彼は1904年に仙台初の外国人留学生として現在の東北大学の前身となる仙台医学専門学校に学んでいる。
さて、東北大学における有名人物は数多いが、その代表格は本多光太郎である。東北大学金属材料研究所を作り、世界初の磁性鋼を発明したことでノーベル賞間違いなし、といわれたが、残念ながら取れなかった。最近の東北大金研にあって名を上げた人の中に名誉教授の川添良幸氏がいる。同氏は第一原理シミュレーション計算により、シリコンフラーレンの実在を予言したことで国内外に知られている。
もう一人の超有名人物は“ミスター半導体”といわれた西澤潤一氏であるが、先ごろ逝去された。92歳であった。何しろ世界で半導体関連の特許を最も多く保有している学者であり、東北大学総長、岩手県立大学学長、首都大学東京学長などを歴任され、多くの有能な人材を育てたことでも知られている。
1964年、つまり東京オリンピックの年に東北大学の西澤教授の研究室に籍を置いた学生は、後に世界を変えるとんでもない発明で世に知られることになる。その人こそフラッシュメモリーで知られる舛岡富士雄氏である。IEEEリーブマン賞を受賞した舛岡氏は、一方で現在の東北大学国際集積エレクトロニクス研究開発センター長の遠藤哲郎氏に薫陶を授ける。その遠藤氏は今を時めく3D-NANDフラッシュメモリーの発明者であり、そしてまた世界を変えるといわれるメモリー、MRAMの特許をほとんど保有している人物なのだ。
西澤氏の直下の門下生としては、クリーンルームの鬼といわれた大見忠弘氏がいる。大見氏は残念ながら先年に逝去されたが、世界の半導体クリーンルームの歴史を変えた男として国際的に知られた方であった。大見先生が心血を注いだ東北大学の未来化学技術共同研究センターの仕事を引き継いだのが須川成利氏であり、驚異的なイメージセンサーを開発していることで世界の注目を集めている。
いわば西澤潤一氏は自らも半導体レーザー、PINダイオード、SITトランジスタの開発に成功し、度々にわたりノーベル賞受賞が噂された人である。しかして西澤氏の偉大なところは、東北大学をコアにして数々の天才的な人物を生み出し、半導体の歴史を変えていったことだろう。
最後にお目にかかったのは、1997年のことであった。この年にトランジスタ生誕50周年を記念するカンファレンスが産業タイムズ社主催で開かれ、西澤氏は元気な姿で業界の人たちに発破をかけておられた。あの力強い言葉、半導体に突き進む強い意志、世界を変えてみせるという哲学は、これからもその弟子たちによって、ビッグウエーブとなって語り継がれていくことになるだろう。
仙台という街は実のところとても素敵なところであり、若い女性たちにも人気がある。昨今の男たちがフガイないために、伊達政宗の銅像をうっとりと眺め、やっぱりダテモノの男はいいわね、という女たちの言葉を何回青葉山で聞いたことだろう。それはともかく、かつて仙台でタクシーに乗れば西澤研究室といっただけで運転手はすぐに連れて行ってくれた。大見研究室も同じであった。地域に根ざした人物たちの成果は、仙台市民にも広く伝わっていたことの証左である。111年の歴史を刻んだ東北大学の凄さはこういうところにも表れている。
(企業100年計画ニュースより転載)
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泉谷 渉(いずみや わたる)略歴
神奈川県横浜市出身。中央大学法学部政治学科卒業。35年以上にわたって第一線を走ってきた国内最古参の半導体記者であり、現在は産業タイムズ社 社長。著書には『自動車世界戦争』、『日・米・中IoT最終戦争』、(以上、東洋経済新報社)、『これが半導体の全貌だ』(かんき出版)、『心から感動する会社』(亜紀書房)、『君はニッポン100年企業の底力を見たか!!』(産業タイムズ社)など27冊がある。一般社団法人日本電子デバイス産業協会 理事 副会長。全国各地を講演と取材で飛びまわる毎日が続く。