家電大手のパナソニックは2018年3月に創業100年を迎えた。12年3月期当時はテレビの大不調などもあり、7800億円という巨大赤字に転落した時期もあったが、ここにきてようやく回復基調が鮮明になってきた。
この業績回復の牽引役となっているのが車載事業だ。なかでも同社が最重要事業と位置づけているのが電気自動車(EV)向けのリチウムイオン電池である。この分野で最も進んでいるのが間違いなくパナソニックだ。安全性、コスト、性能どれをとっても他の追随を許さない。乗用車向けのリチウムイオン電池については世界シェアの4割を握ると言われ、いくら中国製が安いといっても、高品質が求められるカテゴリーに関してはパナソニックが圧倒的な力を持っているわけだ。
これだけ売れればやっかみも出る。米ラスベガスで開催された世界最大の家電ショー「CES」にパナソニックも当然出展しているが、同社のブースには家電が一切並んでいなかった。多くのスペースを割いて展示していたのが、EVメーカーのテスラ向けの電池をはじめとする車載向け製品であった。それを見たメディア関係者からは「これではパナソニックが何をやる会社か分からない」という批判も出ていたという。
しかし筆者に言わせれば、それは全くのお門違い。もっと同社の歴史を勉強してから批判するべきだと言いたい。言うまでもなくパナソニックの前身は松下電器産業であり、その創立者は松下幸之助である。幸之助が電気業界と最初に関わりを持つのは15歳の時。大阪の路面電車を見て感動し、「これからは電気の時代だ。電気と関わる仕事がしたい」と大阪電灯、今の関西電力に入社している。
安全で簡単な電球交換ができる電球ソケットを考案し、これを商品化するために1918年、23歳の時に松下電気器具製作所を設立した。幸之助が考案した電球ソケットは大ヒットして一躍会社は大企業に……と言いたいところだが、実際は全く売れなかった。一緒に起業した仲間も去ってしまう。経営の神様、幸之助も最初から順風満帆だったわけではない。
その後プラグがヒットして経営が軌道に乗ったらしいが、松下電器が一気に飛躍するきっかけになったのは、カンテラ式で取り外しが可能な自転車用の電池がヒットしたためである。これをきっかけとして勢いに乗って乾電池にも進出する。さらなる大ヒットになり、大企業への道を歩み始めるのである。
つまり松下のルーツは電池と言えるのだ。それから100年が経った現在、パナソニックがリチウムイオン電池で業績を回復させていることを思うと、何とも感慨深い。実はパナソニックにとって電池は原点回帰ともいえるのである。
さて、パナソニックは日本、中国、米国で一斉にリチウムイオン電池関連の増産に踏み切ることを発表した。まず中国の大連では第2の新工場を建設し、生産規模をこれまでより倍増させる予定だ。これに先立つ17年1月には、パナとテスラの両社が共同で運営する電池工場「ギガファクトリー」が米ネバダ州で稼働した。ギガファクトリーの投資額は5000億円にのぼり、そのうちパナの負担額は2000億円とされる。
テスラのEV量産に
パナソニックの運命はかかっている
確かにテスラのEVは人気商品であり、作れば売れる状態であるが、バックオーダーも大量に抱えている。17年7月に生産を始めた新型車「モデル3」の年間生産台数について、テスラは18年中の50万台達成を目指すと言っているが、実際にはその半分程度になるのではないかと指摘する専門家もいる。
気の毒なのはパナソニックだろう。テスラは自動車作りを軽く見ていたわけではないだろうが、パナソニックは電池の量産体制をとる準備が整っているのにもかかわらず、テスラからの注文が確定しないため、思い切った投資を躊躇せざるをえないのだ。
それはともかく、日本国内では兵庫県の洲本工場でリチウムイオン電池用のラインを増設したのに続いて、パナソニック液晶ディスプレイの姫路工場の余剰スペースで、車載用リチウムイオン電池生産ラインを設置する計画で、19年には本格生産開始を目指している。パナソニックはこれらを中心に今後国内外で1000億円の投資を実行する。
さらに、自前で揃わない技術については、積極的にM&Aも進めている。16年には車載ソフトウエアを手がけるドイツのオープンシナジーを買収。17年5月には電子ミラー技術を持つスペイン・フィコサを手に入れた。さらにオーストリアの車載用ライトメーカー、ZKWの身売り先候補としてもパナソニックの名前が挙がっていた(最終的に韓国LG電子が買収)。
かつて「家電の松下」で一世風靡したパナソニックが、IoT時代を迎えて自動車部品メーカーへ本気で転換しようとしているのだ。21年度の同社の車載事業売上計画は2.5兆円となっており、何と16年度比で倍増させるという目標を立てている。自動車部品メーカーの世界トップ10入りも目指しているとも言われるが、それはあながちありえないことではない。100年の歳月を経て再び電池に回帰したパナソニックの姿を、墓の下で松下幸之助は少しだけ微笑みながら「がんばれよ。見ているぞ」と声をかけているのかもしれない。
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泉谷 渉(いずみや わたる)略歴
神奈川県横浜市出身。中央大学法学部政治学科卒業。30年以上にわたって第一線を走ってきた国内最古参の半導体記者であり、現在は産業タイムズ社 社長。著書には『半導体業界ハンドブック』、『素材は国家なり』(長谷川慶太郎との共著)、『ニッポンの環境エネルギー力』(以上、東洋経済新報 社)、『これが半導体の全貌だ』(かんき出版)、『心から感動する会社』(亜紀書房)など19冊がある。一般社団法人日本電子デバイス産業協会 理事 副会長 企画委員長。全国各地を講演と取材で飛びまわる毎日が続く。