1988年は日米半導体摩擦がまさに過熱していた時期であった。日本製の半導体が世界を席巻し、半導体王国アメリカは日本半導体の脅威におびえまくっていた。何しろ日本勢の世界シェアは50%に近づいており、世界最強を誇っていたころなのだ。メモリーの主役である1M DRAM戦線は日本圧勝であり、世界シェア9割を占めるという有様であった。日経平均株価も半導体の上昇にあおられるようにして3万円の大台に乗っていた。
このような情勢下にあった88年に実に重要な組織が誕生する。すなわち、外国系半導体の日本国内のシェア向上を目指す組織である外国系半導体商社懇話会(DAFS)が88年11月に発足した。あまりに強すぎる日本の半導体を押さえ込むことを狙い、何と日本国内で使われる外国系半導体のシェアを20%以上にしろ、という米国の要求に呼応するかたちでDAFSは生まれたのだ。
しかして、日本国内の半導体を取り巻く風景は、今日にあってすっかり様変わりしている。このDAFSが発足した当時には外国製半導体の日本国内におけるシェアはたったの7%であったが、現在では50%以上になっている。シェアを20%以上にしろという米国の要求は達成されたうえに、日本の半導体企業の急激な後退が相まって、日本市場は今や外国製が席巻しているという状況なのだ。
大盛況であったDAFSの2018新年会
(右端は挨拶する大西会長)
さて、現状にあってもDAFSの後身となる日本半導体商社協会(どういうわけか現在も略称は変わらず)の役割は大きな意味を持っている。海外のサプライヤーと日本のユーザーを結ぶ懸け橋として、特殊な商慣習がある日本市場ではこの組織がどうあっても必要なのだ。筆者は1月26日に開催されたDAFSの新年会に招待され、年頭所感と乾杯をやらせていただいた。この半導体の好景気の中にあって、各商社のトップも皆笑顔がはちきれんばかりであったのだ。
「DAFSの役割は現状においても重要である。2017年の世界の半導体は20%も上昇し、DAFSに加盟する上場企業12社の売り上げも前年比13%増の2兆円となっている。経常利益も同25%増の500億円と見込まれているが、たぶん上方修正になるだろう」
筆者のスピーチに先立ち冒頭挨拶をされたDAFSの大西利樹会長の談話である。
ところが、この半導体景気の高揚にもかかわらず、DAFSの会員はずっとシュリンクを続けている。ピークでは84社も加盟していたが、現状では62社となっている。18年も国内半導体商社は2年連続の増収増益を見込むが、一方でDAFSの組織立て直しも重要な課題となってきている。
「組織の再拡大に向けてDAFSは2つのプロジェクトを立ち上げている。1つはスキルアップ教育制度であり、エレクトロニクス基礎講座をはじめ、世界の半導体市場の動向、さらにはセンサーデバイス、マイコン、RFデバイス、パワーデバイス、組み込みソフトなどの教育講座をやっている」(大西会長)
受講および学習への動機づけとして教育認証制度を設け、合格者に修了証/合格証を交付している。取扱製品が一層複雑化する今日にあって、販売に従事する商社員のスキルアップは重要度を増しているが、各企業のやれることには限界がある。そこでDAFSという組織そのものが人材教育に乗り出していったのだ。
「もう1つのプロジェクトは、環境データ作成のサポートに注力していることだ。製品に含有されている化学物質の管理体制が強化されているが、この環境データ作成は各社にとってかなり大きな負担となっている。このため、DAFSは環境データの作成業務を代行するサービスを提供することにしたのだ」(大西会長)
創立30周年を迎えてDAFSは再びアクティブな活動を展開している。今後の活動を大きく応援したいという思いは筆者にも強くあるのだ。しかして、DAFSの初代会長であった伯東社長の高山成雄氏が89年当時に語った言葉が、自分の頭の中でガンガン鳴るように響いてきていた。彼はニッポン半導体が強く、米国半導体が弱かった時に、オー・ヘンリーの『賢者の贈り物』を引用し、こう語ったのだ。
「自分が最大の犠牲を払って相手が本当に求めているものを与え、そして譲った時にこそ余慶をうけるものだ」
はてさて、米国にあれだけ譲った末に、ニッポンは本当に余りある贈り物をもらったのであろうか。
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泉谷 渉(いずみや わたる)略歴
神奈川県横浜市出身。中央大学法学部政治学科卒業。30年以上にわたって第一線を走ってきた国内最古参の半導体記者であり、現在は産業タイムズ社 社長。著書には『半導体業界ハンドブック』、『素材は国家なり』(長谷川慶太郎との共著)、『ニッポンの環境エネルギー力』(以上、東洋経済新報 社)、『これが半導体の全貌だ』(かんき出版)、『心から感動する会社』(亜紀書房)など19冊がある。一般社団法人日本電子デバイス産業協会 理事 副会長 企画委員長。全国各地を講演と取材で飛びまわる毎日が続く。