1997年2月のことである。米サンフランシスコのホテルマリオットで開かれたある授賞式の壇上で、1人の日本人が脚光を浴びていた。その賞はエレクトロニクス業界で権威ある賞として知られるIEEEリーブマン賞であり、この脚光の真っ只中にいたのはフラッシュメモリーを発明した日本人技術者として知られる東芝の舛岡富士雄氏であった。
舛岡氏は1943年5月、群馬県高崎市生まれ。同氏の半導体との出会いは、東京オリンピックが開催された1964年までさかのぼる。この年、同氏はニッポン半導体に大きな功績を残した東北大学の西澤教授の研究室に籍を置くことになる。
ここで同氏は約7年間、西澤教授の薫陶を受け、その後1971年に学位を取得すると、活躍の場を東芝に移す。入社後の配属は総合研究所で、画期的といわれるフラッシュメモリーを発明するのは1984年。電気的に一括消去が可能な不揮発性メモリーであることから、舛岡氏は写真のフラッシュをイメージし、フラッシュメモリーと命名したのだ。
さて、今日にあってフラッシュメモリーはNOR型からNAND型に主軸が移り、スマートフォンのメーンメモリーとして活躍する一方、データセンターの主要記憶媒体として一大飛躍が期待されている。現状のフラッシュメモリーの生産金額はせいぜい4兆円程度であるが、これが10倍以上に膨れ上がるとの予想もあり、市場はにわかに沸き立っている。
現状においてNANDフラッシュメモリーの市場を握るのは、韓国サムスン電子であり、世界シェアは38.3%。これに続くのが東芝であり、同シェアは16.1%、ただしこれまで共闘してきたWD(ウエスタンデジタル)と合わせれば31.9%のシェアを持ち、サムスンと対抗できる勢力にはある。
皮肉なことに、このWDと対立するかたちで、フラッシュメモリーを量産する子会社の東芝メモリの売却契約がついに決定した。売却額は2兆円であり、米国のアップル、デル、シーゲイト、キングストンの4社が4155億円を拠出して議決権のない優先株を取得する。また米国の投資ファンドのベインキャピタルは2120億円を拠出し、議決権を持つ株主となる。東芝自体も3505億円を出し、HOYAが270億円を出すことで、この日本2社合計で議決権の過半数を握ることができる。韓国のSKハイニックスも3950億円を拠出するが、今後10年間にわたり15%を超えて議決権は取得できない。
これで日の丸半導体の柱ともいうべき東芝メモリは守られたことになるだろう。問題はこれまでの合弁先であるWDが国際仲裁裁判所に売却差し止めの申し立てをしていることだが、これが解決すれば政府系の産業革新機構や日本政策投資銀行も出資するといっており、何はともあれ最大の危機は去ったと思ってよいだろう。
売却に決着をつけたことで次のステップに踏み出すことができたわけであり、いよいよ東芝はフラッシュメモリーの巨大投資に踏み込むことを決意した。すでに東芝四日市工場にWDとの共闘で1.5兆円を投じるY6棟を建設しているが、これに続いて岩手県北上に50万m²を取得し、4棟立て続けに建設し、サムスン追撃に向け発進していく姿勢を固めつつあるのだ。岩手の新棟については、すでに1兆円を投じるアナウンスをしている。
勝負となる96層3D-NANDはサムスンに先駆けて量産出荷するといわれており、その後144層から200層への道を探っていくことになるだろう。もちろんサムスンも大型投資を構えている。総敷地面積300万m²を有する平澤工場の立ち上げに注力しており、第1期棟は1.7兆円を投じ本格稼働を開始した。この平澤にはトータル10棟を建設すると予想されており、トップシェアを譲らない考えだ。
フラッシュメモリーの元祖である東芝がサムスンの独走を許すことは屈辱であり、会社自体がボロボロになっていても、何としても追いかけるという強いスピリッツを感じざるを得ない。それにしても、一般マスコミの東芝の売却劇を巡る報道はひどいものであった。
半導体技術のことをよく知らない輩が書くわけだから仕方がないにしても、「東芝半導体売却」という表現は明らかに間違っている。東芝のメモリー事業の年間売上高は約9000億円であり、これを独立させた東芝メモリを売却するのであって、東芝半導体すべてを売却するわけではないのだ。こんなことも分からない人たちが、単なるマネーゲーム、東芝経営のふがいなさ、長くパートナーであったWDとの関係のもつれなどを肴に面白おかしく書いている有様は、ただ情けないとしか言いようがない。
東芝メモリが独立しても、東芝本体には重要な半導体がいくつも残っている。とりわけ、パワーデバイス事業は年率5%成長を計画しており、主力製品のパワーMOSFETを軸に展開する。また車載向けIGBTも強化する。次世代パワー素子であるSiCの開発も加速し、姫路半導体工場内に6インチライン投入の本格検討にも入っている。かつて東芝はパワーデバイスの世界チャンピオンであった。その積み上げた技術の奥深さをもっと追求すべきであろう。
そのほかにも車載用デバイスとしてディスプレーコントローラーやオーディオIC、パワーアンプなどを各種展開しているが、とりわけ画像認識プロセッサー「Viscontiシリーズ」はデンソーのカメラシステムに採用されるなど、同市場でシェアを一気に拡大しつつあるのだ。
また、フォトカプラと呼ばれる絶縁スイッチ型の半導体製品も好調だ。この製品の市場規模は1000億円にのぼり、東芝は世界のトップシェアを有している。今後は半導体テスターや車載、FA機器に搭載されるフォトカプラの製品群に注力することで、年率2桁以上の高成長を目指すのだ。
ここにきては、フラッシュメモリーを前面に出して戦う東芝であるが、非メモリーの半導体にももっと注目してもらいたいということだ。財務状況の厳しさは相変わらず続き、多くの人材が会社から離れていき、まさに満身創痍の東芝が、IoT時代の半導体を武器にもう一度「日の丸半導体の復権」に賭けようとしている姿は鬼気迫るものがあるのだ。
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泉谷 渉(いずみや わたる)略歴
神奈川県横浜市出身。中央大学法学部政治学科卒業。30年以上にわたって第一線を走ってきた国内最古参の半導体記者であり、現在は産業タイムズ社 社長。著書には『半導体業界ハンドブック』、『素材は国家なり』(長谷川慶太郎との共著)、『ニッポンの環境エネルギー力』(以上、東洋経済新報 社)、『これが半導体の全貌だ』(かんき出版)、『心から感動する会社』(亜紀書房)など19冊がある。一般社団法人日本電子デバイス産業協会 理事 副会長 企画委員長。全国各地を講演と取材で飛びまわる毎日が続く。