名古屋の暑さは格別だと思っている。やれ京都は暑い、鹿児島は南国だの言われているが、筆者に言わせれば名古屋の真夏ほど暑いものはない。そして今年も7月27日の超暑い日に名古屋に出かけ、ふらふらになりながら「Robo Cup 2017」を観に行ったのだ。
子供たちはもはやロボットと「共生」している(Robo Cup 2017より)
これはローカルで開催されるロボット展であるが、内容はなかなかに濃いものがあった。トヨタのパートナーロボット「HSR」も、ソフトバンクの「Pepper」も会場を沸かせており、何よりもあのレトロロボット、ソニーのアイボが何匹もいることにはしばし感動を覚えたのだ。
会場では多くの子供たちがロボットと遊び楽しんでいた。いや、これは少し表現が違うかもしれない。大人たちとは異なり、子供たちは自然にロボットと「共生」していた。何のきらいもてらいもなく、ロボットのいる社会を素直に受け入れている。こうした子供たちが大人になった時に、スマートフォンに何の違和感もない今の若者たちのようにロボットと語り、遊び、ともに学習し行動する社会がやって来るのだろう。
そう思いながら、ローカルの新聞を眺めていたら「お一人様」サービス拡充が一気に進んできたことを知った。ラーメン店やカラオケ店などが1人でも利用しやすい店舗や専用コーナーを設け、そのことで大きく業績をアップさせているのだ。個別席で間仕切りを設け、1人焼肉を楽しむ男性。周囲の視線を気にせずにラーメンのうまさを味わう女性。そして1人カラオケで絶叫し、ストレスを解消する若者。さらには1人だけで気兼ねなくやるゴルフ。
そう時代は今や「お一人様」ブームとなりつつある。晩婚化で中高年でも単身者は増えており、1人がいいという人は急増している。仮に恋人がいても夫や妻がいても、1人になりたいという人は山ほどいるのだ。
こうした「お一人様」急増のなかで、近い将来ロボットの果たす役割はますます大きくなるだろう。ただのペットではなく、1人を楽しむ人の気の置けない仲間として、友達として、はたまた恋人として、もしかしたら子供や親の代替としてヒューマニクスロボットが「癒し」「ねぎらい」の時を作っていくのだ。
ロボットによる作業支援、介護支援など多くのことが叫ばれているが、ロボットと共生し「お一人様」の寂しさを解消するというロボット文化は、もしかしたら加速度的に進むのかもしれない。大体が引きこもり、自分の家を出ない人たちが増えているなかにあって、自分と共感し遊んでくれ、しかもエサもいらず報酬を与える必要のないロボットは、それこそ宝物ともいえるのだ。
もちろん一人暮らしの老人たちにとってもロボットは必須のパートナーとして共生していく。大好きな人と別れ、中島みゆきの失恋ソングを泣きながら唄う女性にも、ロボットは優しく一緒に唄をかなでてくれるだろう。白を黒と言われても上司に従わざるを得ないサラリーマンのやり場のない怒りを吸収してくれるのは、未来社会にあって人間ではなくロボットなのかもしれない。
今や新たな「ロボット文化論」を考える時代が来ているのだ。かつて「自由を我等に!」という時代があり、自由・平等・博愛が語られ、「団結」「連帯」こそが美しいという文化があった。しかして、「1人がいい」という人たちが増えてくれば、それなりに新しい社会が形成されるわけであり、ロボットの存在感はいやが上にも増してくる。
そんなことを考えていたら、多分日本一ロボットに明るい浮島哲志記者(筆者の部下である)の言葉が胸に突き刺さってきた。それはこのようなものであった。
「確かにロボットにおける日本企業のシェアは60%はあり、それはすばらしいと思う。しかして、そこに使われている半導体は圧倒的に外国企業が多い。いずれロボットの時代が来ることを予想し、海外勢は長期プランで半導体を開発している。ところが、日本企業はロボット向け半導体は少量多品種で儲からないからとして、意欲的に取り組まない。長期レンジで考え行動する、というニッポンのモノづくり文化が失われていることは実に悲しい」
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泉谷 渉(いずみや わたる)略歴
神奈川県横浜市出身。中央大学法学部政治学科卒業。30年以上にわたって第一線を走ってきた国内最古参の半導体記者であり、現在は産業タイムズ社 社長。著書には『半導体業界ハンドブック』、『素材は国家なり』(長谷川慶太郎との共著)、『ニッポンの環境エネルギー力』(以上、東洋経済新報 社)、『これが半導体の全貌だ』(かんき出版)、『心から感動する会社』(亜紀書房)など19冊がある。一般社団法人日本電子デバイス産業協会 理事 副会長 企画委員長。全国各地を講演と取材で飛びまわる毎日が続く。