「越中とやまの薬売り」といっても今の人は全くピンと来ないかもしれない。しかし筆者の子供のころには、時々ではあるが、母にやさしく声をかけ、家に上がり込んでしまう薬売りのおじさんがいっぱいいたのだ。いつもニコニコしながら勝手に我が家の薬箱を開けて、そこに足りなくなった薬を補充していく。その分だけ代金をもらって帰っていくのだ。
これは実のところ、大変すばらしいビジネスモデルであるといってよいだろう。富山県には300年に及ぶ薬の伝統があり、全国の家々を回っては薬箱を置いていき、時々見回りに来ては薬を継ぎ足すという手法で売り上げを上げていった。確実なビジネスであり、取りっぱぐれもない。そして自分で薬を買いに行くのがかったるい人には最高に都合がいい。また医師や薬屋まで遠く距離のある村々の人たちにとっては、とやまの薬売りは誠に重宝な存在であったのだ。
さて、ここに来て“薬の富山”が大復活し始めている。2005年当時には医薬品生産金額において全国8位であった富山県は、16年に全国1位に立ったと見られている。強敵の静岡や大阪を打ち破っての堂々の日本一に輝いた。生産金額はおおよそ6500億円とみられ、全国の約10%を占めていることになる。
富山県薬事審議会によれば、県内に生産拠点を置く医薬品メーカーが15年に実施した設備投資は434億円に達しており、過去10年で最高となっている。とりわけ、富山県が得意とするジェネリック(後発医薬品)の需要が伸び、各社が増産投資や研究開発機能の強化を急いだことが金額を押し上げたのだ。16年以降に実施される設備投資総額も715億円が見込まれており、薬の富山はますます強くなるばかりなのだ。
後発薬最大手の日医工や原薬メーカーのダイトなど大手が投資するだけでなく、中堅メーカーも意欲的な設備投資を断行している。政府は医療のコストダウンを狙って20年度末までの早い時期に、後発薬の利用割合を80%まで引き上げるとしており、富山県内の後発薬各社はさらなる増強を急ぐことになっている。
富山県では薬業にかかわる人材の育成を図るために、早くから教育に力を入れてきた。江戸時代の寺小屋、明治時代の薬学校(現在の富山大学薬学部)を経て、他に例のない総合的な人材教育システムを確立しているのだ。現状において多彩な医薬品メーカー90社と100を超える医薬品工場の集積があるため、この包装容器やパッケージ印刷などの周辺産業も充実している。
09年10月には世界における薬の都といわれるスイスのバーゼル地域と医薬品分野を中心とした交流協定も締結している。また、13年から北陸ライフサイエンスクラスターを立ち上げ、がん、生活習慣病、認知症の予防/診断/治療のための医薬品や診断技術の開発にも取り組んでいるのだ。今後の課題としては、医薬に強いばかりだけではなく、医療機器や医療デバイスの集積も図りたいとしており、IoT時代に対応する富山のライフサイエンスに対する取り組みはいずれ全国の注目を集めるに違いない。
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泉谷 渉(いずみや わたる)略歴
神奈川県横浜市出身。中央大学法学部政治学科卒業。30年以上にわたって第一線を走ってきた国内最古参の半導体記者であり、現在は産業タイムズ社 社長。著書には『半導体業界ハンドブック』、『素材は国家なり』(長谷川慶太郎との共著)、『ニッポンの環境エネルギー力』(以上、東洋経済新報 社)、『これが半導体の全貌だ』(かんき出版)、『心から感動する会社』(亜紀書房)など19冊がある。一般社団法人日本電子デバイス産業協会 理事 副会長 企画委員長。全国各地を講演と取材で飛びまわる毎日が続く。