商業施設新聞
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No.361

昭和を謳歌した「新宿ゴールデン街」


登坂 嘉和

2012/4/10

 国内最大級の歓楽街「新宿歌舞伎町」東側の一角に、多様な飲食店が集まった「新宿ゴールデン街」「新宿三光商店街」がある。2階建ての長屋が連なり、店舗面積4坪前後の飲食店が250店ほど集まった商店街で、“昭和”と“高度経済成長”の時代を謳歌した、オーナーと贔屓客の関係が今も続く。夕暮れとともにネオンを灯し、明け方近くまで笑い声が響き、老若男女が集う。本紙では、新宿エリアの動向を連載しており、ここ数カ月に何度も新宿エリアを歩き回って、ここへ辿り着いた。

 1945(昭和20)年8月の終戦から新宿駅東口に集まり始めた屋台などの闇市を、4年後にGHQが露店取り払い命令を発令したことから、旧三光町にこれらの店が移転して、新宿ゴールデン街は現在の街を形成した。
 所在地は新宿区歌舞伎町1丁目地区で、靖国通りから北へ延びる旧都電の引き込み線を遊歩道に改修した「四季の道」や花園交番通りからアクセスする。南側の「新宿ゴールデン街」はG1通りとG2通り、北側の「新宿三光商店街」は、あかるい花園1番街、3番街、5番街、8番街、マルハビル、まねき通りで構成し、筋沿いに店舗が張りついている。

 新宿ゴールデン街は、500坪の敷地に104店が店子となっている。四軒長屋の店子は、4坪前後の店で営業しており、串カツ、寿司屋、居酒屋、ラーメン、スナック・バー、喫茶店などの大衆向け店舗が集積し、作家・編集者などの文化人や演芸、役者などの芸能人も常連客になっているという。
 2009年5月に亡くなられた、破天荒な日本棋院の囲碁棋士・故藤沢秀行九段も花園三番街のバカツル酒場に入り浸っていたという。がんを患いながら「飲む、賭つ、買う」の三拍子を貫き、周囲の人々に迷惑をかけつつもプロ棋士としての勝負を貫いたと言われている。
 また、深夜営業の飲食店には、60年、70年の安保闘争を闘った元活動家、その後に文筆家や編集者に転じた文化人、役者らが常連客となり、さらにその筋の方も徘徊するなど、過去には喧嘩が日常的に起きていたようだ。

 地権者が集まる花園街商業協同組合では、靖国通り沿いの地権者とともに、歌舞伎町一丁目東地区まちづくり協議会を立ち上げて、新宿ゴールデン街をエンターテインメントやショッピングが楽しめる街にするため、再開発事業の実現を目指した。大成建設が事業協力者となり、街づくりの基本構想を策定している。
 また、靖国通りを挟んだ新宿伊勢丹地区でも、特区構想による規制緩和で超高層ビルを建設する基本プランをまとめており、両地区でツインタワーの同時開発を目指した。三越伊勢丹HDは、本館とメンズ館、伊勢丹会館、駐車場棟、周辺道路も含めて一体的に開発し、靖国通り地下の商店街「新宿サブナード」を新宿三丁目駅まで延伸することなどが行政と話し合われたが、その後の百貨店業界の低迷もあって実現は遠い。

 一方、新宿ゴールデン街の再開発は、歌舞伎町一丁目東地区まちづくり協議会を設置して、南側の東京電力変電所と靖国通り沿いのビルオーナーが協力して第1種市街地再開発事業を検討した。しかし新宿区は、北側の新宿三光商店街振興組合も含めた地区の一体開発を求めており、店子で構成する新宿三光商店街振興組合と利益相反する地権者の花園街商業協同組合との協同事業は困難を伴うものとなる。
 基本プランによると、地区南側の新宿ゴールデン街の敷地に東京電力の変電所を移設し、現在の変電所と靖国通り沿いの商業・オフィスビルがある場所に超高層の再開発ビルを建設するものであった。歌舞伎町一丁目東地区まちづくり協議会によると、超高層棟は外資の一流ホテルと全館にエンターテインメントを導入し、四季の路沿いは低層の物販・飲食店を配置して、若者からファミリーが楽しめる施設を構成、深夜営業の飲み屋街から健全な娯楽の街への再生を目指したいという。
昼の新宿ゴールデン街
昼の新宿ゴールデン街

 昭和の華やかな時代には、路面電車が新宿駅東口に集中し、映画館や劇場が集まる新宿歌舞伎町は絶頂期にあり、隣接する新宿ゴールデン街も妖艶な光を放っていた。
 防災と健全な街への再生を願う住民と、昭和のノスタルジーを求める常連客との折り合いが気になる。

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