「人間の60兆の細胞は自立している。これからは自分で考え、自分で語り、自分で動く自立の精神が求められているのだ。AIの時代だからこそ、AIを利用し、AIがすべてでないという認識が必要になってくる」
作家 田中康夫氏(左)と
コネクテックジャパン代表の平田勝則氏
これは名だたる脳科学者の言葉ではない。ましてや今をときめくIoTコンサルタントの言葉でもない。何とあのメガヒット小説『なんとなく、クリスタル』を書き、80年代の青春を送った人たちをノックアウトした作家、田中康夫氏の言葉なのだ。フジキンという半導体業界では著名な企業が、医療部門(特に超音波診断装置)を拡大すべく開催したプライベートセミナーの場で、ゲストスピーカーである田中康夫氏は見事に「今」を語ってみせたのだ。
『なんとなく、クリスタル』が流行した折に、筆者はもうピチピチの若者ではなく、おっさんの30代になっており、この小説でひんぱんに出てくる若者言葉が分からず、随分と焦ったものだ。しかし、今思えばこの小説は「何となくあいまいでグレーの時代の到来」を予想しており、かなりの先見性があったのだ。そして田中康夫氏は政治家にも転じ、長野県知事としても活躍したことで知られている。
「時代は今、量の拡大から質の拡大に向かっているように思われてならない。市場こそすべて、市場こそリアルと考えてきた多くのエコノミストは、実のところバーチャルであることに気が付始めた。市場原理主義とは異なる市場人間社会に移行し始めている。つまりは、公益資本主義なのだ。利益を求める欲望経済を利用しながらも、有用な企業を全世界に生み出す流れを作らなければならない」(田中氏)
田中氏の鋭いところは、ひたすら演繹法に頼ってきた社会が、今こそ帰納法に戻るべきだ、と説くところにある。つまりは、ロジックで積み上げていく未来を計算するのではなく、あるべき人間の幸福の未来を描き、そこから逆算して必要な暗黙知を重視すべき、だというのだ。
確かに、現在のコンピューター技術、半導体技術、バイオ技術、脳科学、機械工学、バイオテクノロジーなどを積み上げていけば、それこそ「IoT」という第4の産業革命の社会が描かれていくだろう。まさに、AIとロボット、センサーの時代に突入するのだ。しかして、この「IoT」の概念の中に「できるだけ人間を介在させないで」というところがある。これが誤解、曲解を生んでしまう。ひどい解釈をすれば、もう人間がいらない社会がやってくるとまで言う人がいる。
これこそまさに本末転倒の議論だろう。ヒューマニズムとは遠い概念であり、人間がこの地球社会において主役をAIとロボットに譲っていくことにもなりかねない。つまりは、人類の幸福、あるべき未来の幸福の姿をアナログ的に設計しない限り、必要な技術、学問は違う方向に行ってしまう。アインシュタインの相対性理論はまさに画期的な学説であったが、そこから派生的に生まれた核爆弾は多くの不幸と不安を人間にもたらすことになってしまった。
「テクノロジーの本来の意味は芸術というものです。この本質が忘れられている。美しいもの、すばらしいものを創造していきたいという人類の願いが様々な芸術を生み出してきた。テクノロジーは芸術であることの本義を忘れてはならない」(田中氏)
正直に言って、筆者は田中康夫氏をかなりトレンディーかぶれの軽い人だと思ってきた。しかして、このすばらしい講演を聞いて全く田中氏に対する評価は逆転し、「何と奥が深いインテリの人なのね」に変わってしまった。コロコロ意見が変わるのは筆者の癖であるが、それにしても田中氏のような見識がもっと普遍的になっていくべきだと切に思う。
「上から目線で見る。下から目線で何事もとらえてしまう。それは、これからの時代にあっては、克服しなければならないことです。誰もが水平の視線でこの世界を生きていく。AIとロボットのIoT時代にあっては、人間と共存する彼らに対しても水平の視線が必要になってくる。アメリカの病院では、がん患者に対しても健常者と同じ視線でドクターは話をする。真の意味で平等はこうしたところにある」(田中氏)
なるほど、あれだけの仕事をしながら、ありとあらゆる病気、けがに苦しんできた田中康夫氏だからこそ語れる言葉なのであろう。
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泉谷 渉(いずみや わたる)略歴
神奈川県横浜市出身。中央大学法学部政治学科卒業。30年以上にわたって第一線を走ってきた国内最古参の半導体記者であり、現在は産業タイムズ社 社長。著書には『半導体業界ハンドブック』、『素材は国家なり』(長谷川慶太郎との共著)、『ニッポンの環境エネルギー力』(以上、東洋経済新報 社)、『これが半導体の全貌だ』(かんき出版)、『心から感動する会社』(亜紀書房)など19冊がある。一般社団法人日本電子デバイス産業協会 理事 副会長 企画委員長。全国各地を講演と取材で飛びまわる毎日が続く。