会社の評価をひたすら売り上げ、ROEなどで測る昨今であるが、社に働く者全体の絶対幸福を追求すれば、一人も首を切らずに雇用を最重視するカンパニーになってゆく。大手にあっても出光興産、旭化成、東レなどいわゆる100年企業の中には、一回も人を切ったことがないという会社が存在する。温度センサー世界一の「チノー」もその一社である。
「パソコンの世界でもスマートフォン(スマホ)の世界でも日本は残念ながらデファクトスタンダードをとれなかった。事実上の世界標準をとることは至難の業なのだ。ところが、これを実現しているメーカーが存在する。それが温度センサー、さらには各種の計測/制御でその名を知られるチノーというカンパニーである」
こう語るのは電子デバイス産業新聞 編集長の津村明宏である。彼はIT全盛時代における日本勢の後退ぶりを少しく嘆いていたが、IoT時代に突入し日本企業が世界一の技術と生産シェアを誇る「センサーとロボット」がメーンステージに出てきたことをえらく喜んでいるのだ。
さて、東京・板橋に本社を置くチノーは、大正2年に御徒町で個人として創業した。会社組織になったのは昭和11年であり、今年が節目の80周年となる。「温度のチノー」として高い技術力を誇り、近年では赤外線計測分野、燃料電池評価試験分野では絶大な評価を獲得してきた。
最初の創業から数えれば103年目を迎えるチノーであるが、同社の基本理念は「特長・信頼・連帯」であり、驚くべきことに創業以来、一切人を切らない経営を貫いている。
「リーマンショックの折には売り上げの約半分が吹っ飛んで113億円まで落ちた。この時、私は経営コンサルタントの意見を無視して、注文もないのにひたすら在庫を作り続けろ、という逆バリ戦法に出た。何とこれで一気に回復したのだ」
こう語るのはチノーを率いる代表取締役社長の苅谷嵩夫さんである。
通常であるならば注文が来ないのであるから、工場はほとんど動かない状態となるだろう。雇用調整金をもらって自宅待機、または希望退職を募るのが順当といえる措置なのだ。しかして苅谷氏はチノーの製品は、3年が経ち、5年が経っても売れる標準品であるからどんどん作るべきだ、という指令を出すのだ。
「作り上げたものは、各営業所の机の上にどっさりと置かせた。これを売らなければ会社は存続しないという意味であった。ここから営業は鬼と化したのだ。受注がないのなら自分から売り込めばいいという機運がみなぎり、一人が月に100社を回るという基本動作で最大クライシスを乗り切った」(苅谷社長)
チノーの温度センサーは世界35カ国の国家計量機関に出荷しており、事実上のデファクトスタンダードとなっている。すなわち温度という分野においては、一番基本の世界標準センサーなのだ。アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、イタリア、スペイン、中国、韓国、タイなどに行ってもチノーの温度センサーがトップブランドであり、その名は轟いている。小さくとも世界標準を持つ強さが、結局はチノーを救ったのだといえよう。
もっともチノーは非常に良い顧客を持っている。燃料電池評価試験装置や原子力発電の温度計測制御については、東芝がビッグクライアントとなっている。また、赤外線放射で検知する人体検知センサーは一時期チノーの独壇場となり、大手警備会社のセコムの絶大な信頼を獲得している。
人が辞めない、人を辞めさせないというチノーの経営は、従業員の定着率の良さにつながり、穏やかでまったりした社風を生んでいる。社内では生ぬるすぎるという声も多いが、苅谷社長は笑いながらこういうのだ。
「人間関係の良さがあって初めて頑張れる会社になる。従業員たちの団結力は非常に強いと感じている」
ちなみに筆者は24冊目の単行本の執筆を先ごろ完了し、10月7日付で発刊された。その本のタイトルは『世界の温度の標準は日本のチノーが決めている』というものだ。筆者としては初めてのことになるが、自らが所属する産業タイムズ社から出版することになった。奮ってご購読のほど、お願い申し上げる次第だ。
(この本に関するお問い合わせ・お申し込みは(株)産業タイムズ社販売部、Tel.03-5835-5892)
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泉谷 渉(いずみや わたる)略歴
神奈川県横浜市出身。中央大学法学部政治学科卒業。30年以上にわたって第一線を走ってきた国内最古参の半導体記者であり、現在は産業タイムズ社 社長。著書には『半導体業界ハンドブック』、『素材は国家なり』(長谷川慶太郎との共著)、『ニッポンの環境エネルギー力』(以上、東洋経済新報 社)、『これが半導体の全貌だ』(かんき出版)、『心から感動する会社』(亜紀書房)など19冊がある。一般社団法人日本電子デバイス産業協会 理事 副会長 企画委員長。全国各地を講演と取材で飛びまわる毎日が続く。