あるセレモニーで、「思わずうるっときてしまいました」と、イオンモール(株)の広報担当者に伝えたことがある。普段、同社が開催する新施設の内覧会やオープン記者会見などに参加しているが、これらは喜びや驚きがあっても、感動まですることはなかなかない。筆者は今年で38歳になったが、まだ涙腺が緩くなった自覚もない。それでも、「ウチでは珍しいセレモニーでしょう」と広報担当者が言うとおり、イオンモール寝屋川の閉店セレモニーは強く印象に残る取材となった。
イオンモール寝屋川は(株)ダイヤモンドシティが1978年3月24日に「寝屋川グリーンシティ」として開業し、2007年に「イオンモール寝屋川グリーンシティ」に改称された後、11年に現在の名称となった。総賃貸面積は約2万4000m²で、大阪府内のイオンモール(建て替えを計画しているイオンモール藤井寺を除く)では一番小さい規模である。最近オープンした「イオンモール四條畷」(総賃貸面積7万5000m²)や「イオンモール堺鉄砲町」(同5万6000m²)と比べると、規模的に見劣りする感は否めない。施設の老朽化も考えると、閉店するのはやむを得ないと思われる。
地元住民の受け止め方は皆一様に寛容だ。施設内に掲示されていた“声”の中には、ショックという言葉もあったが、総じて感謝の言葉が綴られていた。例えば、53歳の女性は『39年前、ジャスコグリーンシティがオープンした春に私も寝屋川に引っ越してきました』と説明したうえで、『私の39年間の寝屋川での思い出はジャスコグリーンシティと共にあるので寂しさも人一倍深いです』と述べていた。また、29歳の男性は『生まれた頃から利用させてもらっていた私にとって、思いのほかショックなことでした』と述べながらも、『時代の流れとはいえ、低い天井から狭い駐車場まですべてが懐かしく愛おしい。今時の無機質なショッピングセンターにはない、あったかくて、人と人との繋がりが生まれる様な場所ではなかったでしょうか』という素敵なコメントを寄せていた。
閉店セレモニーの開始時間が近づくにつれて、センターコートと思われる場所では、記念写真を撮影する家族連れでごった返した。そしてセレモニーが始まると、代表取締役社長の吉田昭夫氏は「イオンモール寝屋川は当社の4号店であり、成長のスタートを切ったお店である。スイミングスクールや銀行など、当時では珍しいテナントを積極的に導入し、延べ1億3000万~1億4000万人のお客様にご来場いただいた」と謝辞を述べた。また、ゼネラルマネージャーの鷹城直人氏は、「1年前に閉店すると聞いたが、今日まで実感が湧いてこなかった。でも、それはお客様に日々、日常の風景をつくっていただいていたから。改めて感謝申し上げたい」と声を詰まらせていた。挨拶を終え、シャッターが降り始めると、セレモニーに参加していた聴衆からは「ありがとう!ジャスコ」という声が飛んできた。
筆者にとっては初めての経験となった閉店セレモニー。日々、「今後の出店計画はどのようにお考えですか」とか、「改装の時期はいつになりそうですか」などと取材で連呼しているが、イオンモール寝屋川の閉店セレモニーを見て、改めて施設運営に対する問いの重要性を感じた。自分の人生にも匹敵する38年という長い歴史をどのように紡いできたのか、その中では、どのような嬉しい出来事が起きて、どのような苦境があったのか。そうした問いを通じて、読者諸賢に施設の魅力をもっと伝えていきたい、そう思えるような取材であった。