熊本地震で大騒ぎになっている最中の4月15日のことである。筆者は何と鹿児島に出かけて温泉と酒三昧、言わぬが花の三昧の夜を過ごしたが、「苦難の方々に申し訳ない」という気持ちでいっぱいであった。深夜になってふらふらとホテルに引き上げ、ぐっすりと眠り込んだ。そして1時25分のこと、突然にホテルの部屋中に大音響のベルが鳴り始め、地震が来ますよ、というアナウンスがされた。あのマグニチュード7.3の地震(これが何と本震であった)に直撃され、朝まで続く揺れに全く眠れない夜を過ごすことになってしまったのだ。
結果的には最も地震が来ないエリアの1つといわれていた熊本に起きた地震は、とんでもないものであった。微震まで加えればトータルで1000回を超える地震が発生し、国内外においても前代未聞の出来事となってしまった。4月16日の午前になって東京本社に連絡を取ってみたが、「こんな時に何ゆえに鹿児島に飛んだのですかあ」という部下の疑わしい声を無視し、ひたすら分かる範囲では速報を編集部に送り続けた。
熊本の知り合いは数多く、電話またはメールを送り続けたが、電話の向こうで多くの悲鳴を聞き只事ではない、との思いであった。東京に帰ってからは親しくする女性たちから、携帯トイレや生理用品を送って下さいとの要請があり、ああこういう時に女性たちが苦労することは男とは異なっているのね、と感じたのだ。
それはともかく、熊本県は九州シリコンアイランドの中核であり、この地震発生時にまず思ったことは半導体工場が無事であるだろうかということだった。CMOSイメージセンサー世界一のソニーセミコンダクタの本社工場は熊本にあり、しかも震源地のすぐ近くなのだ。パワー半導体世界一の三菱電機も熊本に最大の量産拠点があり、車載マイコン世界一のルネサスも熊本に拠点工場を持っている。また、半導体関連工場を見ても、大手の東京エレクトロン、荏原製作所も被災しており、液晶の保護フィルム世界トップの富士フイルムも熊本に大型工場を稼働させている。結果としては、東日本大震災よりも被害ははるかに少なく、復旧もかなり早く進んだことにはほっとしたが、半導体よりもトヨタなど自動車産業に多くの打撃を与えたことは、日本のGDPそのものに少なからぬ影響を与えるだろう。
何しろ、アイシン精機の熊本が大破してしまったために、トヨタは6日間も国内の全工場を止めざるを得なかった。日産やダイハツも熊本、大分に大きな製造拠点を持つために影響ははっきりと出たのだ。
「半導体生産の約1/4は九州に集積している。また自動車産業の拠点も東北および九州へのシフトが進んでいる。熊本地震の恐ろしさを考えれば、九州への半導体、自動車の集積は危ない。企業立地戦略を各社とも見直すべきだ」
これは筆者が親しくする証券アナリストのコメントである。なるほど、熊本県はこれまで日本でも屈指の地震の少ない県であった。また、豊富できれいな阿蘇の伏流水に惹かれて多くの半導体工場集積が進んだ。ところが、である。来るはずのないものが来たのだ。
全国各県の企業誘致担当者が良く口にすることは、「自然災害が少ないから安全」という言葉なのだ。自然災害は台風であったり、津波であったり、地震であったりするが、とりわけ「地震が少ない」を売り言葉にしてきた県には衝撃となってしまったのが熊本地震である。熊本にも400年前に大地震が襲来したことは歴史に書いてあることだが、まさかというタイミングで今回はやられてしまった。しかし、地震予知ほど難しいものはない。日本全国には2000という活断層が存在しており、そのうち100近くはいつ地震が起きてもおかしくない、というのが実情なのだ。しかも日本列島の多くはプレートの上に載っており、地震王国ニッポンは逃れようもない。
こうした状況を鑑みれば、企業誘致の有利な条件は今や自然災害の少なさではなく、有効求人倍率の低さにあるのではないか。ある県の企業誘致担当者は恥ずかしそうな顔をしながらこうおっしゃったことがある。
「わが県の有効求人倍率は1.0にも満たず、恥ずかしいことです。失業が多いということです。働く場所がないということでもあるのです」
しかして筆者はこう思うのだ。働く場所がないから工場誘致をするのではないのか。有効求人倍率が低いということは、それだけ工場新立地があれば人が集まるということではないのか。日本国全体で有効求人倍率が1.1を超えているということは、数字の上では新工場をつくっても1人も雇うことができない可能性があるということを意味する。完全失業率は世界新記録を打ち立てており、要するに人不足もここに極まれり、という状況なのだ。近い将来にはお家芸とも言えるロボットを大量採用しての人不足解消もあるだろうが、それにしてもここ1~2年のうちに工場を建てたいという企業には特効薬にはならない。
今はただ、熊本から大分エリアで被災した方々のお見舞いを述べるばかりであるが、熊本地震がGDPに与える影響も少なくないだけに、昨今の円高急加速、株価急下落が気になって仕方がない。
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泉谷 渉(いずみや わたる)略歴
神奈川県横浜市出身。中央大学法学部政治学科卒業。30年以上にわたって第一線を走ってきた国内最古参の半導体記者であり、現在は産業タイムズ社 社長。著書には『半導体業界ハンドブック』、『素材は国家なり』(長谷川慶太郎との共著)、『ニッポンの環境エネルギー力』(以上、東洋経済新報 社)、『これが半導体の全貌だ』(かんき出版)、『心から感動する会社』(亜紀書房)など19冊がある。一般社団法人日本電子デバイス産業協会 理事 副会長 企画委員長。全国各地を講演と取材で飛びまわる毎日が続く。