ふと街中を見回してみると、大きな変化に気づく。それは遊ぶところが非常に少なくなってきたことだ。遊びが多様化していると言ってしまえばそれまでだが、若かった頃のように遊びにそれほど意欲的でなくなってしまったせいか、あまり気にも留めていなかった。最寄り駅近くに4店ほどあったゲームセンターは再開発などにより1店もなくなってしまい、ビリヤード場もなくなった。また、駅の南と北に9店ほどあったパチンコ店も、今ではたったの3店になってしまったし、雀荘も1店だけになった。
実際、ゲームセンターの数は、1986年には全国に2万6000店ほどあったが、現在では5000店にまで減少しているというから、街で見かけなくなったのは当然だ。やはり「Wii U」や「ニンテンドーDS」などの家庭用ゲーム機、スマホゲームなどの存在が影響しているという。一時、シルバー世代がゲームセンターを賑わせていたが、盛り返すほどの力はないというのが実情だろう。ボーリング、ゲーム、カラオケなどを展開する複合レジャーの代表的企業であるラウンドワンも客足が伸びず、ここ数年減収減益傾向が続いており、苦戦を強いられている。
パチンコも同様に、店舗数が2005年の1万3000店から減少傾向が続き、1万店を割る水準まで減少し、競馬も1997年の市場がピークだった4兆円から、今では3兆円弱まで大きく落ち込んでいる。
これには様々な原因が考えられるが、自分なりに分析すると、まずは禁煙が進んでいることも一つの要素だと考える。例えば麻雀やパチンコ、競馬などのギャンブルにタバコはつきものだが、健康ブームにより禁煙率が高まり、喫煙者にとってそのような場所が苦痛になってきたことが挙げられる。一時、禁煙コーナーがあるパチンコ店もあったが、客がつかないためすぐになくなってしまったことを覚えている。
さらにパチンコでいえば、デジタル化が極端に進み、大当たりまでの演出性を重要視したあまり、リーチが異常に長くなったことも年配の人には受け入れられないのでないかと感じられる。
パチンコはチューリップ、羽物、数字が揃うデジタル物と変遷してきたが、ギャンブル性が非常に強くなってしまった。上に4本ある天釘の状況、風車、ヘソ釘の開きといったこともほとんど重要な要素ではなくなってしまった。デジタルが出始めの頃はボタンを押せばストップする仕組みで、まだデジタル技術が甘かったせいもあり、パチンコの種類によっては数字の揃え方があって、おいしい思いをした人もいるのではないだろうか。ギャンブル性が強かったとしても1台に3万円もつぎ込めばフィーバーできたものである。
ところが、今のパチンコは極端で、とことん金をつぎ込んでも出ないものは出ない仕組みである。機械それぞれが大当たり台、中当たり台、回収台など設定値が段階分けされており、大当たりが出る確率が決められているのだ。そうなると興味は失せてしまう。ギャンブル性を少しでも抑え、客足を取り戻すため、1円パチンコなども登場しているが、どうだろうか。遊戯施設がどこに行っているかは分からないが、人がどのような行動をとっているかは興味があるところだ。