電子デバイス産業新聞(旧半導体産業新聞)
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第164回

“シャープ魂は、まだその街角に残っているのだ”


~液晶を命とした企業がそれを売り払う痛切な思い<2014年冬>~

2015/12/25

 「液晶を命とし、これを育て、世界的なデバイスとした功績は、ひとえにシャープにあるのだ。元祖液晶とも言うべきこの会社が、液晶部門を分社化または売却で切り離すという出来事は、少なくとも10年前にどのアナリストも評論家も新聞記者も予想した人は皆無だろうと思う。それにしても女の命が黒髪であるならば、シャープの命は液晶だ。社員は皆痛切な思いで働いていることだろうね」

 自らも十数年前にシャープの現状について予想できなかったことを嘆く有名アナリストの言葉ではある。筆者もまたその一人であり、シャープ堺工場が立ち上がった時には、これでこのカンパニーは世界ステージに出て行ったことになると、いきがって記事を書いたことをよく覚えている。

 シャープと言えば、その基礎を作ったのはベルトのバックルであり、その次に開発したシャープペンシルは一般用語ともなってしまった。その後ラジオ、テレビ、オーディオ、家電などに展開していくが、筆者がデビューした1977年ごろには、幹部の一人が眉にしわを寄せて実に悔しそうにこう言っていたのだ。

 「シャープと言えば二流、三流と言われた時代を何としてもブレークしたい。関西方面ではシャープのことを、あの安売りの品質の良くない家電を売っている早川電機、などという輩がいまだに多い。悔しくて仕方がない」

 そしてまた、このころ、シャープはテレビの世界でもそこそこの業績を上げていた。ところがメーンデバイスであるブラウン管を作る技術がなくて、日立、東芝など大手から供給を仰いでいた。自前のブラウン管でテレビを作れないメーカーとして蔑まれていたのだ。しかし一方で、シャープはブラウン管に代わるディスプレーを死に物狂いで立ち上げていた。それが世界に先駆けて、高精細な製品として商業化に成功した液晶なのである。液晶という最大の武器を持ったシャープはいち早くテレビに応用し、「AQUOS」ブランドで売り出し、あっという間に日本国内を席捲する。

 このころ筆者の家の近くに住む電気屋の親父はこう言っていた。

 「早川も出世したもんだよ。最近来るお客さんはAQUOSを出しているシャープは超一流メーカーと言っている。隔世の感がある。ソニーも東芝も松下も、もうシャープにはかなわねえかもしれねえ」
 
 液晶テレビで頂点に上り詰めたシャープは、これを生産する三重県亀山工場をコマーシャルの前面に出し、「世界の亀山ブランド」と銘打ち、この工場に働く人たちの意気はいやが上にも高まった。そしてまた、シャープ幹部が大好きな女優という単純な理由から、かつての清純派の代表である吉永小百合を起用し、コマーシャル攻勢をかけた。小百合の言っていた広告コピーは「目のつけどころがシャープでしょ」であったように思う。ちなみに筆者は松田聖子ファンであるからして、吉永小百合はその対極の存在としてあまり好きではない。

 ところが、である。売上3兆円を突破した2007年ぐらいから、シャープの事業計画には少しく暗い影が見え始める。台湾勢や韓国勢に挑戦状を叩きつける意味もあって、大阪府下に鳴り物入りの堺工場を建設する。つまりは、企業規模を考えない捨て身の大勝負に出ようとしたのだ。結果的には強敵サムスンに叩きのめされる。そしてまた、LG電子や雨後のタケノコのように出てきた中国メーカーにも攻勢をかけられ、AQUOSブランドは一敗地にまみれてしまった。最近では、この堺工場は台湾のホンハイに売却するとも言われており、これをきっかけに液晶事業すべてを本体から切り離すことになりそうだ。筆者のまぶたの裏には、堺工場立ち上げの折に万歳三唱していた社員たちの顔と声がいまだに蘇ってくる。

千葉県下のある電気屋の一角にシャープ魂はまだ残っている
千葉県下のある電気屋の一角に
シャープ魂はまだ残っている
 先ごろのことだが、千葉県下のある町の商店街で、古びた電気屋を見かけた。そこにはAQUOSの看板が今も掲げられており、液晶テレビならシャープなんだ、という店主のかつての声が聞こえてくるようだった。人は誰でも最も得意とする技で敗れる、とはよく言われることだ。柔道で一本背負いを得意技とする選手が、相手の一本背負いで負けて畳に叩きつけられた時に引退を悟るのだ。シャープもまた最も得意とする液晶で戦い、結局は韓国、台湾、中国の液晶に勝つことができなかった。

 それでも筆者はこう思うのだ。あの日、あの時「世界最高の液晶を作ってみせる。そしてそれを搭載したテレビで一流のステージに駆け上がってみせる」と思った社員たちの魂だけは今もそのまま残っている。千葉の名も無い家電屋の一角に、シャープ魂は今も残っている。それはまた、IoT時代を迎えて次のセンサーデバイス、通信デバイス、自動車デバイスで世界を制してみせると息巻く、今の若きニッポンのエンジニアたちにある精神と同じなのだろう。


泉谷 渉(いずみや わたる)略歴
神奈川県横浜市出身。中央大学法学部政治学科卒業。30年以上にわたって第一線を走ってきた国内最古参の半導体記者であり、現在は産業タイムズ社 社長。著書には『半導体業界ハンドブック』、『素材は国家なり』(長谷川慶太郎との共著)、『ニッポンの環境エネルギー力』(以上、東洋経済新報 社)、『これが半導体の全貌だ』(かんき出版)、『心から感動する会社』(亜紀書房)など19冊がある。一般社団法人日本電子デバイス産業協会 理事 副会長 企画委員長。全国各地を講演と取材で飛びまわる毎日が続く。
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