ここに一冊の本がある。タイトルは『ソニー初期の半導体開発記録』(非売品、問い合わせ先は半導体産業人協会)というものである。著者は川名喜之氏であり、かつてのソニーCCDプロジェクトのマネージャーを務め、後にソニー研究所の副所長となった人なのだ。筆者は何回かお目にかかっており、実に穏やかな方であるが、燃え上がるソニースピリッツをそのまま持っている方でもある。
ところで、最近の記者は困ったことに「品川の東通工の様子はどうなんだ」と聞いても「はあ~、何ですかそれ。その会社知らにゃい」と言われてしまう。筆者は少し苛立ち気味に「天下の東京通信工業をお前らは知らないのか」と怒鳴るのであるが、部下の記者たちは「きっとまた古いことを言っちゃっているのね」と冷笑している。さようまことに品川の町工場であった東京通信工業が、トランジスタの開発で大成功を収め、世界の檜舞台に出て行き、社名をソニーに変えたことを知る人は本当に少なくなった。筆者も歳を取ったなと思う瞬間である。
さて、前記の本を読んでみたが、実に面白かった。特に今日にあって、ソニー半導体の看板商品となっているCMOSセンサーの前身であるCCD開発のくだりについては、まさにドラマともいうべきものであった。
太平洋戦争で日本は惨敗し地にまみれた。戦争当時に海軍にあって技術大尉の経歴を持つ岩間和夫という人が井深大氏に誘われ、昭和21年に東京通信工業、後のソニーに入社する。岩間和夫氏は盛田昭夫社長の後任となる社長であるが、昭和48年に中央研究所長としてCCDプロジェクトを設定する方針を決定した。
岩間氏はCCDのアプリとして小型ビデオカメラを想定しており、5年以内の商品化と価格5万円の目標を示したが、完成までに長い年月が費やされた。実際のところCCD開発は何回も暗礁に乗り上げていた。昭和49年に入って、当時課長であった川名喜之氏はCCD開発の本丸に踏み込んでいくことになる。
昭和51年には岩間和夫氏はソニーの社長になっていたが、周りの人たちに「CCDの欠陥の問題はまるで生物学だ。複雑な現象が絡まりあって、訳がわからない。やってもやっても底が見えない」と嘆いた。CCDは完成せず、岩間氏は社内からの激しい反対論にさらされ続けた。研究部門のスタッフですらプロジェクト中止を叫んでいた。
しかして、昭和53年3月にいたってソニーは大々的なプレス発表を行う。すなわち、ついに悲願のCCD開発に成功し、これを搭載したカラーカメラ商品化をアナウンスしたのである。ソニーの競合メーカーは腰を抜かすほどに驚いた。できるはずのないものを作ってしまったのだ。
そうして、昭和57年5月に鹿児島県国分工場にCCD量産ラインが完成し稼働する。ところが、この年の8月にCCD開発に命をかけた岩間氏がガンのために無念の思いのまま、この世を去ってしまうのだ。
昭和60年にはついに世界最初の8ミリカムコーダー「CCD-V8」の発売に踏み切る。ソニーはビデオカメラの王者となり、放送用機器の分野でもぶっちぎりトップを疾走していくことになるのだ。
ソニーCCDはその後CMOS技術を導入し、今日にあってはCMOSイメージセンサーとしてソニー半導体の中核を支えている。この分野の世界シェアはダントツであり、スマホ向けシェアは50%に近づきつつある。そしてまた、ソニーの半導体生産は2014年度に6100億円、2015年度も引き続き約3割の伸びを見込み、8000億円前後の売り上げを達成することはほぼ確実だろう。いよいよ国内半導体第2位のルネサスをとらえにかかる勢いなのだ。その原動力は何といってもCMOSイメージセンサーであり、その前身を作ったのはCCDなのだ。
ソニーは先ごろ、2015年4~9月期の連結決算を発表したが、1159億円の黒字を計上し、上期としての最終黒字は実に5年ぶりのこととなった。ここで出した純利益は、パナソニック、日立、三菱電機を上回るものであり、電機6社の中で最も多いのだ。見逃せないのはこの利益の多くを叩き出したのがCMOSセンサーを中核とする半導体などの電子デバイス部門であり、実にここの営業利益は58%も増えた。株価は1年間で約7割も上昇し、ソニー復活の足音がはっきりと聞こえ始めたのだ。
CCD開発に長く携わった川名喜之氏は、当時をこう振り返っている。
「岩間氏のCCDにかける執念こそが開発成功の第一の原動力であった。彼の指導力なしにはこの困難な開発・量産は達成できなかった。岩間氏はガンによってこの世を去ったが、多くの人が彼の死を悼んだ。岩間氏の墓石には今もあの時のCCDチップが貼り付けられており、それは永遠の記念として残るだろう。CCD開発の苦難の歴史の上に、今や世界を席巻するソニーのCMOSイメージセンサーが立っている。それをゆめゆめ忘れてはならないと思う」
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泉谷 渉(いずみや わたる)略歴
神奈川県横浜市出身。中央大学法学部政治学科卒業。30年以上にわたって第一線を走ってきた国内最古参の半導体記者であり、現在は産業タイムズ社 社長。著書には『半導体業界ハンドブック』、『素材は国家なり』(長谷川慶太郎との共著)、『ニッポンの環境エネルギー力』(以上、東洋経済新報 社)、『これが半導体の全貌だ』(かんき出版)、『心から感動する会社』(亜紀書房)など19冊がある。一般社団法人日本電子デバイス産業協会 理事 副会長 企画委員長。全国各地を講演と取材で飛びまわる毎日が続く。