電子デバイス産業新聞(旧半導体産業新聞)
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第157回

大阪万博から45年が経ち「あの繁栄」はどこに行った


~吹田の日本スペリア社が創立50周年で見せた企業魂~

2015/11/6

日本スペリア社 代表取締役社長の西村哲郎氏の挨拶
日本スペリア社
代表取締役社長の西村哲郎氏の挨拶
 タクシーを飛ばして大阪の万博記念公園に向かっていたその時、あの懐かしの塔が見えてきた。「芸術は爆発だ!」と叫んでいた岡本太郎の作った太陽の塔である。あれから45年の歳月が流れ、日本人の生活も経済もすっかり変わってしまったが、太陽の塔だけはまさにそのままそこに屹立していたのだ。

 1970年の夏はひときわ暑かった。その熱気の中をまだティーンエージャーであった筆者は、幼い妹を連れてたった2人でこの大阪万博(正確には日本万国博覧会)を観に行ったのだ。覚えていることはあまりない。ただひたすら暑かったこと、そして人また人の波であったこと、そして空を見上げるとあの太陽の塔があったことである。

 大阪万博のプロデューサーは、日本が世界に誇る建築家である丹下健三。そして、何と総来場者数は驚くなかれ6421万8770人。つまりは日本人の2人に1人はこの大阪万博を訪れたことになる。1つのイベントで集めたこの来場者数は空前絶後のことであり、もしかしたらこの記録は今後も破られることはないかもしれない。時の内閣総理大臣は佐藤栄作。1970年の夏、ニッポンは昇り竜の勢いであった。そしてまた、大阪の街も超元気印であったのだ。

 「人類の進歩と調和」をテーマに掲げ、77カ国が参加し、サプライズの高度経済成長で米国に次ぐ経済大国にのし上がった日本の晴れ姿、それが大阪万博であった。しかして、この1970年という年は70年安保闘争が激化した年でもあった。今や、中国に抜かれGDP3位に後退した日本にあって、45年後の今日、若者たちの盛り上がりによる久方ぶりの「安保反対!!」の声が東京の街角に鳴り響いた。だがそれは1970年の逼迫した状況とは様変わりしており、どうあってもあの頃の熱風は戻ってこない。最近の東京はアベノミクスのインパクトがかなり出てきており、工事のクレーンが多く立ち並ぶようになったが、大阪の街はいまだに万博当時の活気はとてもではないが戻ってこない。夜の北新地を歩いても、ナンバの街をひやかして歩いても、寂しげな接客のお姉様たちが寂しそうに微笑むばかりだ。

 さて、大阪万博に先立つ1966年5月に大阪で産声を上げ、今年の10月23日に創立50周年祝賀会を開いたカンパニーがある。その会場は何と万博記念公園内の迎賓館。そのカンパニーの名前は日本スペリア社(大阪府吹田市)である。

 同社は、米国から輸入したユニークなフラックスの販売を手始めに、はんだ付け・ロウ付けの接合ノウハウをベースにグローバルに事業を展開し、今やグループ合わせて売り上げ230億円にまで成長した。エレクトロニクス実装、プリント配線板、さらには様々な電子機器用の金属接合に携わる人たちにとって、日本スペリア社の名前はよく知られている。特に、環境に配慮した鉛フリーはんだ、ソルダリング、ブレイジングの分野で活躍しており、電子機器・電子部品の発展に大きく寄与してきたのだ。

 超ハデな音楽(ツァラトゥストラはかく語りき)に乗って登場した日本スペリア社の代表取締役社長の西村哲郎氏は、「この50年間を支えていただいたのは、ひとえにユーザーの皆様(パナソニック、ダイキン工業、日本電産、新電元工業など)のおかげ」であるとし、また米国のDKLメタル社など海外の温かい支援あってのことと感謝の挨拶をされた。来賓の挨拶として壇上に立ったTANAKAホールディング顧問の高橋洋祐氏は「長い間、田中貴金属の銀ロウを使っていただいてありがたい限りだ。自宅の一角を改装し会長と奥さんのたった2人で創業した日本スペリアの50年は辛いことも多くあったと思う。しかして、継続され発展したのは多くの社員の方の努力が下支え」という感想を述べられた。

 筆者はこのめでたき会場の一角で祝杯を挙げさせていただいたが、「ここにはまだあの大阪万博の息吹が残っている」との思いを強くした。大阪経済の後退、そして東京一極集中による大阪の存在感の希薄さがよく議論されるなかにあって、大阪市長の橋下氏を中心とする維新の会が一時的なブームを作っていった。それは、「大阪をなめるんじゃない」という多くの大阪人たちの声を反映したものであった。残念ながら、この運動論は変節をとげつつあり、何かの結実を生んだとは言いがたいであろう。

 しかして、日本スペリア社のような「かあちゃん、とうちゃん」で起こした会社が50年を戦い抜き、日本そして世界にその名を刻むことになっていった歴史は、「大阪人の元気は決して死んではいない」ことを表している。東京だけが栄えてもダメ、と考える日本人は多い。西の要である大阪が元気を取り戻すことは何よりも大切なことであり、そしてまた安倍首相の言う「地方創生」がニッポン再興のキーワードであることは疑いを持たない。


泉谷 渉(いずみや わたる)略歴
神奈川県横浜市出身。中央大学法学部政治学科卒業。30年以上にわたって第一線を走ってきた国内最古参の半導体記者であり、現在は産業タイムズ社 社長。著書には『半導体業界ハンドブック』、『素材は国家なり』(長谷川慶太郎との共著)、『ニッポンの環境エネルギー力』(以上、東洋経済新報 社)、『これが半導体の全貌だ』(かんき出版)、『心から感動する会社』(亜紀書房)など19冊がある。一般社団法人日本電子デバイス産業協会 理事 副会長 企画委員長。全国各地を講演と取材で飛びまわる毎日が続く。
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