電子デバイス産業新聞(旧半導体産業新聞)
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第153回

世界遺産の韮山反射炉の構造を元に実稼働炉を1/5で再現した!!


~白ゆ釜師の中田文氏は藤沢に建設完了し、江川家もこれを祝福~

2015/10/9

 東芝の会計不祥事が巷の話題を集めている。リーマンショック以降の7年間で最終赤字の合計は2555億円に上り、会計不祥事が覆い隠していた低収益体制がまさに表面化したのだ。しかして、スマートフォン向けフラッシュメモリーは連結利益の大半を稼ぐほどの活躍を見せており、半導体事業が同社を支える屋台骨であることも明らかになったのだ。
 東芝の半導体事業の2014年度売り上げは、前年度比ほぼ横ばいの1兆2000億円弱、少し減ったとはいえ2160億円の黒字を計上し、苦しい東芝の状況を支えている。しかし半導体の一本足打法がいつまで通用するかとの見方が強く、新たな成長産業への展開が今こそ望まれると言えるだろう。

 東芝といえば、半導体産業新聞(現在の電子デバイス産業新聞)創刊号(1991年1月21日付)に登場した当時の常務、江川英晴氏のことが忘れられない。現在も東芝の主力となるフラッシュメモリー事業に注力し、世界でも最も先行していた。91年4月から世界に先駆けNAND型4Mのサンプル出荷を開始し、これは今日のフラッシュメモリー活況の時代を先取りしたものであった。江川氏のフラッシュメモリー一大強化策は、まさに苦境に立つ今日の東芝のお助けマンとなっている事実を多くの人に分かってもらいたい、と切に思う。

 ところで江川氏は、日本初の反射炉を作ったことで知られる伊豆韮山の代官、江川太郎左衛門の子孫であった。名門の血を引きながらも、強い意志力と戦略の正確さで国内外の評価の高い人物であった。惜しくも97年8月にこの世を去ってしまう。

 韮山反射炉は先ごろ世界遺産に登録され、その評価はうなぎのぼりとなっている。幕末の時期に大砲を作るための鉄を量産すべく、一斉に日本の各地で反射炉の建造が始まる。薩摩、佐賀、福岡、島原、長州などが建造するが、開国後は薩摩藩をはじめ、ほとんどの反射炉は取り壊された。韮山反射炉は奇跡的に残ったのである。
 安政元年(1854年)に着工し、安政4年には完成する。高さ15.6mの連双2基、合計4炉の反射炉であり、鋳鉄の溶解が可能な反射炉としては、世界に唯一残されたものとして名高い。ただし、実際のところ、この反射炉を使って作る大砲は、当時の欧米列強には事実上まったく通用しないものであった。時代遅れだったのである。しかし大切なことは、何としても自前で作り、世界に日本の技術力を見せつける役割を果たしたという事実である。

 さて、奇特にも、この伊豆韮山反射炉の構造を元に、実稼働炉を5分の1で再現するという作業に取り組んだ男がいる。横浜在住の白ゆ釜師、中田文氏である。父の中田敞氏は著名な釜師として知られており、神奈川美術展の審査員をやったほどの人物。中田文氏も父の手伝いをしながら、神奈川美術展などに入選し、地歩を築いていく。阿弥陀堂釜の製作では大賞を受賞した。そのほか、地方の国民文化祭などにも多く出展している。

 その中田文氏が韮山反射炉の構造を元に実稼働炉を作ってみようと思うきっかけは、伊豆でパラグライダーをしていた時であるという。そのとき初めて韮山反射炉を見た中田氏は、自らも鉄の鋳造を行っているだけに、この産業遺産には多くの関心を持ったのだ。そして、これを実稼働炉として再現し、実際に火入れ後に銑鉄鋳造ができる反射炉として復活させるという構想を周囲の人にぶち上げた。あまり相手にはされなかったが、韮山反射炉応援団理事である木村鋳造の菅野氏がこの熱い思いに賛同し応援してくれた。そして何よりも、江川本家が諸手を挙げてこのことに賛成してくれたのだ。

 建設地は神奈川県藤沢でベルギービール店を経営する樋口伊喜夫氏の邸宅内に決めた。ちなみに樋口氏は、映画や映像作品の撮影カメラマンもしており、その撮った作品がキネマ旬報ランキングで10位に入選したことで知られている。樋口氏は中田文氏のこの取り組みに全面協力し、約2カ月間、寝食をともにして立ち上げに協力したという。

韮山反射炉の構造採用炉の横に立つ中田文氏
韮山反射炉の構造採用炉の横に立つ中田文氏
 この反射炉の設計図は残っているものの、製造するには木村鋳造の実測値が必要であり、耐火煉瓦、コークスなどの材料も調達することになり、実際のところはかなり大変な作業になったという。でき上がったこの反射炉は、藤沢の石川交番横の道路沿いにあるため、誰でも見ることができ、高さ3mのものが立ち上がっている。

 中田文氏は数カ月をかけてのめり込んだこの仕事を完了し、筆者の取材に応じ、汗をかきながら次のように答えたのだ。
「欧米列強さらにはロシアの脅威にさらされていた幕末の日本にあって、韮山の一代官であった江川太郎左衛門英龍氏が作り上げた韮山反射炉は、日本の近代化に向けての志であった。実のところ、この日本を取り巻く構図は今も全然変わっていない。中国、ロシア、米国という3大大国に囲まれ、常に政治的、経済的プレッシャーを受けながら、それでも日本は驚くべき技術革新でひるむことなく世界と勝負している。江川太郎左衛門英龍の意思は今も引き継がれているのだ」


泉谷 渉(いずみや わたる)略歴
神奈川県横浜市出身。中央大学法学部政治学科卒業。30年以上にわたって第一線を走ってきた国内最古参の半導体記者であり、現在は産業タイムズ社 社長。著書には『半導体業界ハンドブック』、『素材は国家なり』(長谷川慶太郎との共著)、『ニッポンの環境エネルギー力』(以上、東洋経済新報 社)、『これが半導体の全貌だ』(かんき出版)、『心から感動する会社』(亜紀書房)など19冊がある。一般社団法人日本電子デバイス産業協会 理事 副会長 企画委員長。全国各地を講演と取材で飛びまわる毎日が続く。
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