夏の甲子園を見ていると、泣けて泣けて仕方がない、とつぶやく親父たちは多い。ああ、あのころは自分も今のように汚れてなく純情だった、との思いが込み上げてくるからだろう。筆者もまた高校野球の大ファンであるが、優勝の栄冠を勝ち取った高校の胴上げよりも、実力がはるかに劣り10対0で負けているのに、9回になっても全力疾走で一塁を目指す選手の方に目を取られてしまう。負けた方こそ美しいのだ!という美学が少なからず日本人にはあるのだ。
それはさておき、群馬の前橋工業といえば高校野球でもかなり常連であり、ここでセカンドのポジションを得て、ひたすら白球を追い続けていた男がいる。今から22年前のことである。その男は群馬県玉村町生まれ、父はモノづくり一筋の人で、叩き上げでプラスチック製造メーカーの社長を務めていた。
その男は高校を卒業し、東京蒲田の日本工学院で電気工学を学び、日本ビクター(現在のJVCケンウッド)に入社する。新子安の横浜工場、前橋工場などの製造現場で6年間を過ごす。そして上司にある時こう言われるのだ。
「メーカーの世界は大きく技術とマネジメントに分かれる。ところでお前の武器はなんだろう。どう考えてもマネジメントに思える。それも人間関係に強く、特に人を見る眼が鋭い」
こう言われた男は日本ビクターを退社し、人材カンパニーの世界に身を投じる。20年間のキャリアを積んで2015年4月、人材カンパニー大手のUTグループの中核会社であるUTエイムのトップに登り詰めるのだ。その男の名は筑井信行という。
「人材カンパニーに身を投じて様々な経験とノウハウの蓄積をしていった。組織は何をコアに動くのか。人は何を頼りに働くのか。多くの良い体験をさせてもらった。仲間らと創業し、ベンチャーカンパニーを作り、シャカりきに働いた。そしてある日ある時、UTグループの総帥である若山陽一氏に出会う。何と志の高い人だと思った。自分がこれまで求めてきたものをすべてやっていると感じた」(筑井氏)
若山氏の人望に惹かれた筑井氏は、UTグループに入ることをためらわなかった。UTアイコムというカンパニーで指揮を振るい、そして先ごろUTグループの中核であるUTエイムの代表取締役社長に就任したのだ。就任してすぐに筑井氏が幹部および社員に言った言葉は次のようなものである。
「製造業を極めよう。この分野で日本一になってやろう。日本全土に雇用を生み出す企業グループへジャンプアップするのだ」
それはUTグループの創業者である若山陽一氏の思想とぴったりクロスオーバーする言葉であった。UTグループは半導体/電子部品業界の製造アウトソーシング業界ではNo.1の地位にある。しかして、製造派遣というジャンル全体としても、業界内で、トップを狙っていく姿勢を固めている。日本全土に仕事を作ることに挑戦していけば、必ずや人材における日本一の請負会社になることができると信じているのだ。
創業から間もない1997年、UTグループは製造アウトソーシング業界で初めて、製造現場で働く派遣社員の正社員雇用を始めた。その後、常用雇用を基本とし、正社員雇用、社会保険100%加入など、業界の常識を覆すサプライズな戦略を展開していく。そしてまた、半導体分野に特化という方針を打ち出し、すさまじい勢いで実績を積み重ねていく。UTグループ全体としては、2016年3月期に売り上げ450億円、営業利益28.5億円、従業員数1万1000人を目指す。その時点の事業構成は、半導体/電子部品が40%、環境/エネルギー分野が30%、自動車関連が20%、その他10%というかたちを考えており、いわば様々な領域に展開し、リスクを分散させ、事業の安定性を高めていく考えだ。
ちなみに、UTエイムの営業目標は2016年3月期で前期比120%の342億円を考えている。充分に達成できる目標であるという。また、UTグループ全体としてかなり早い時期に株式の一部上場を計画しており、それにふさわしい陣容も整えていく必要があるのだ。
「日本全体で人不足が目立ってきている。しかし一方で、衰え行く産業に多くの優秀な人材が埋もれている。衰退していく産業から伸びていく産業への人材の移動はどうしても必要であり、UTエイムはそのことに全力を挙げる。また、外国人活用も視野に入れていかなければならない。私たちは外国の実習生を教育し、日本企業に売り込むことを真剣に計画している。また、眠っている女子労働力、中高年労働力にも活躍のステージを提供する使命がある、とも思っている」(筑井社長)
UTグループ全体としてオペレーターにとどまらず、よりハイエンドのエンジニアリングの人材強化という方向性がある。UTエイムもまた、オペレーターで入った人に必要な教育を授け、エンジニアリングにキャリアアップさせるという手法を次々と駆使していく考えだ。UTエイムを率いる筑井社長は「どのようなことがあっても、ライバルに対しては絶対に負けない」という強い意思を社内外に発信している。また給料を上げていかなければ、人材の質も上がらないのだと考えている。
高校野球に明け暮れていたひとりの少年が夢見た世界は、「多くの人たちに仕事の場を提供し、生活を支える図式を作る」というかたちで開花した。明日のニッポンを作る人材を求めて、筑井社長は持ち前のファイトで今日も全力疾走しているのだ。
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泉谷 渉(いずみや わたる)略歴
神奈川県横浜市出身。中央大学法学部政治学科卒業。30年以上にわたって第一線を走ってきた国内最古参の半導体記者であり、現在は産業タイムズ社 社長。著書には『半導体業界ハンドブック』、『素材は国家なり』(長谷川慶太郎との共著)、『ニッポンの環境エネルギー力』(以上、東洋経済新報 社)、『これが半導体の全貌だ』(かんき出版)、『心から感動する会社』(亜紀書房)など19冊がある。一般社団法人日本電子デバイス産業協会 理事 副会長 企画委員長。全国各地を講演と取材で飛びまわる毎日が続く。