もうすぐオフィスからキーボードを叩く音が消え、自律型AIエージェントがバックグラウンドでタスクを処理するサーバーの駆動音の方が大きくなる――、そのようなフィクションのような世界が本当にくるかもしれない。
「AIに仕事を奪われる」という事態は、予測ではなく現実のものとなりつつある。従来数日かけていた市場分析、複雑な法務書類の精査、高度なプログラミングといった業務は、AIエージェントによって数秒で完遂されるようになってきた。
こうした動きは「効率化」というレベルを超え、情報の検索、整理、要約というプロセスがほぼゼロになり、知的労働における「無人化」に近い状況が生まれつつある。そして、ホワイトカラー(事務職や営業職、弁護士やプログラマーなどの専門職、医師などの研究職などといった主に知的・専門的な職種に就いている人)は、AIを高度に操って戦略を練る一部の「指揮者」のみが残る状況になる。
特に米国では、こうした傾向が顕著になりつつある。米国勢調査局の企業向け調査によれば、AIを業務に導入している企業は急増しており、今後の導入を検討する企業も着実に増加。有力企業の経営者もホワイトカラー業務の相当部分がAIで代替されるとの見方を相次いで表明し、業績が堅調であるにもかかわらず、人員の削減計画を公表する企業も目立つ状況になっている。事務職などの求人倍率は歴史的な低水準を記録し、「いかに人を確保するか」という考えから、「いかにしてAIエージェントを活用していくか」という段階へ完全に移行した。こうしたなか、米国である言葉が聞こえるようになってきた。それが「ブルーカラー・ミリオネア」である。
ブルーカラーも安泰ではない
AIの研究において「モラベックのパラドックス」という言葉がある。これは、AIは人にとって難しい高度な推論は比較的容易に行えるが、人にとって簡単な動作(歩く、物を掴むなど)は習得が困難であるという矛盾した傾向のことである。
こうした傾向が実際の社会でも起こり始めている。つまり、ホワイトカラーより、ブルーカラー(主に工場の生産ライン、建設現場、運輸・物流の現場などで、生産・製造、保守、運搬といった現場作業に従事する労働者)の価値が上がっており、有名な大学の学位よりも技術者の方が高い年収を得た結果、ブルーカラー・ミリオネアという言葉が生まれた。実際、米国では短期の職業訓練校への応募が増えているという。
しかし、そうしたブルーカラーの時代も、長くは続かないかもしれない。その理由の1つがフィジカルAIだ。フィジカルAIは、物理的な「身体」(ロボットや自動運転車などなど)を持ち、現実世界を認識・理解して自律的に行動する技術で、物理法則を体得し、現場で作業や操作を行う「動くAI」ともいえるものだ。例えば、従来ロボットは、決められた動作を繰り返すだけの機械という存在だったが、直近はVLA(視覚言語行動モデル)といったAI関連技術との融合で、カメラを通じて見た現場の状況を即座に言語的に理解し、最適な物理アクションへと変換できるようになりつつある。
こうした技術に貢献している要素の1つが電子デバイスだ。例えば、シリコンフォトニクス技術やInP(インジウム燐)を用いた次世代の高速光デバイスが実用化され、データセンターとロボットをつなぐ通信のボトルネックが解消された。また、高性能のロジック半導体によって膨大な動画データから作業のコツなどをAI学習で獲得できるようにもなった。さらに、電子デバイス技術の進化などにより、以前は1台数千万円のコストを要したヒューマノイドロボットが、100万円台で提供される事例なども出てきた。
電子デバイス技術の進化などでヒューマノイドロボットの性能も向上
普段ロボティクス領域を取材している筆者の感覚では、何でもできる汎用性の高い完全自律ロボットなどの実現にはまだ時間を要するだろうが、特定の現場や作業であれば複雑な作業を自動化する事例などは続々と出てくると思う。つまり、ブルーカラーの仕事も決して安泰とはいえない。
日本はフィジカルAI導入に優位な環境
それでは今後、こうした状況下でどうすればいいのか。さらにいえば、日本がとるべき戦略は何なのか。今後、様々な提言が出てくるだろうが、単純な解の1つがフィジカルAIを積極的に使うということだろう。AIを脅威とするのではなく、生産性を高めてくれる技術として捉えることだ。
日本は、フィジカルAIで重要なヒューマノイドロボットの開発では米国や中国に後れを取っているが、ロボティクスに関する技術や知見は高い水準にある。電子デバイスの面でみても、フィジカルAIで重要なセンサーに関して多数の企業がある。AI処理用の半導体については、設計企業は多くないが、製造面ではTSMC熊本第2工場が3nmプロセスを採用する計画であることに加え、Rapidusも本格量産に向けた取り組みを進めるなど下地が構築されつつある。
そして日本は生産年齢人口が減少している。これは通常、マイナスの要素になる事柄であるが、フィジカルAIの観点からみると、人手不足によってフィジカルAI技術を活用できる分野が多く出てくることを意味する。また、海外では「ロボットは人間の雇用を奪う存在」と認識されることが多い一方、日本ではそうした意識が高くないこともプラスに働く。フィジカルAIの社会実装で先行することが、人口の減少が進む日本の解決策の1つとなり、かつAIの領域で巻き返す重要な取り組みとなる可能性は十分にあるだろう。
電子デバイス産業新聞 編集部 副編集長 浮島哲志