日本最初の日本語の日刊新聞はどこでいつ発行されたのであろうか。それは、横浜毎日新聞という大新聞であり、1870年(明治3年)に創刊されたのである。その後、東京日日新聞、郵便報知新聞などが次々に創刊されたが、これらは大新聞と呼ばれた。その後、小新聞としては読売新聞が1874年に創刊され、それ以降、朝日新聞、日本経済新聞、産経新聞などが発刊されるのである。
明治維新により、開港された横浜はエキゾチックでモダンな街であったのだ。日本初のアイスクリーム、そしてビールもすべて横浜がそのはじまりであった。筆者は、横浜生まれ、横浜育ちであるが、まずもってオシャレで最先端をいく人と言われたことはない。それどころか下品なトランプのようなヤツとか言われて、ひたすら悔しい思いをしているのである。
それはともかく、新聞という存在はほんの十数年前まではまさに花形ともいうべきものであった。読売新聞は最盛期に1000万部を出したとも言われており、10人に1人が読売を読むというありさまであった。筆者は読売ジャイアンツが大嫌いだが、読売にもいっぱい友達がいるのでなるべく言わないようにしている。
朝日新聞には、大親友の元論説委員がいるのでこれまた悪口は言わないようにしている。産経新聞は、元々は産業経済新聞であるからして、かなり読んではいた。それゆえに、ヤクルトスワローズは応援しているけれども、日本一の栄誉に輝いた横浜DeNAベイスターズとやる時にはもちろん、ヤクルトを罵ってはいる。
ここにきては、いわゆる一般紙と言われる新聞の衰退は目を覆うばかりである。2021年末の日本新聞協会のデータによれば、一般紙(朝日、毎日、読売、日経、産経)の総発行部数が3000万部を割ってしまったのである。一般紙のピークは2000年頃であり、5000万部を突破して、ものすごい勢いであった。
しかし、その後は負けて負けて負け続けた。それとクロスオーバーするように、SNSというジャンルが爆発的に伸び始めた。現在にあっては、電車の中で新聞を読んでる人はほとんどいない。いたとしても、それは競馬新聞だったり、釣りニュースだったり、もしくはエロい新聞だけである。しかもほとんど中高年のオヤジたちだけが読んでおり、女性はまったくといって良いほど、車内で新聞を読まない。
同じように、電車の中で単行本や文藝春秋や文庫本を読んでいる人は実に少数なのである。ちなみに、文藝春秋は18歳の頃からずっと定期購読している。また、最近ではよく記事を書かせていただいている。ごく直近に出た文藝春秋の増刊号ともいうべき「2025年の論点100」に筆者は執筆しているので、お読みいただければ有難い。
まずもって、ほとんどの報道はネットで足りているという人は数多い。また、YouTubeばかり観ていて、新聞も雑誌もテレビも見ない、そういう時代なのである。
産業タイムズ社は半導体、商業施設、医療産業などに専門分野に特化
すでに予見しておくが、言うところの一般紙、地方紙などはただただ追いつめられていくばかりだろう。よほどの特徴をもった紙面を作らない限り、読者離れに歯止めはかからない。
幸いにして、筆者の所属する産業タイムズ社は、半導体、商業施設、医療産業などに特化している媒体で勝負している。生き残りの道は1つしかないのだ。その新聞にしか載っていない特ダネ、これを追い続ける限りその媒体は決して衰えることはない。
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泉谷 渉(いずみや わたる)略歴
神奈川県横浜市出身。中央大学法学部政治学科卒業。35年以上にわたって第一線を走ってきた国内最古参の半導体記者であり、現在は産業タイムズ社 取締役 会長。著書には『自動車世界戦争』、『日・米・中IoT最終戦争』(以上、東洋経済新報社)、『伝説 ソニーの半導体』、『日本半導体産業 激動の21年史 2000年~2021年』、『君はニッポン100年企業の底力を見たか!!』(産業タイムズ社)など27冊がある。一般社団法人日本電子デバイス産業協会 理事 副会長。全国各地を講演と取材で飛びまわる毎日が続く。