電子デバイス産業新聞(旧半導体産業新聞)
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第596回

「人材が足りないならばロボットを作ってしまえ!」という逆転の発想


熊本の人材カンパニー、マイスティアの工藤正也社長が語る言葉の重み

2024/9/20

 「弊社は人材カンパニーとして国内外の人に支えられ、頑張ってきた。ありがたいことに年商150億円を見込めるところまで来たのだ。しかして、新たなる挑戦をしなければならない。それは、協働ロボットを活用したスマートシステムを作り、供給することだ」

マイスティア 代表取締役社長 工藤正也氏
マイスティア 代表取締役社長 工藤正也氏
 穏やかな顔をしながら、きっぱりとこうコメントするのは、熊本に本社を置く人材カンパニーとしてその名を知られるようになったマイスティアの代表取締役社長の工藤正也氏である。工藤氏は、熊本県合志の出身であり、高校野球の甲子園でその活躍が知られる熊本工業を出て、とある電子部品工場で働くことになる。九州シリコンアイランドにいち早く進出した三菱電機において働いていたのが工藤氏の父親である。ちなみに、熊本工業は2024年の甲子園にも出場しており、熊本工業出身の大野球人が読売ジャイアンツの川上哲治氏である。

 それはともかく、工藤氏は工場で働くうちに熊本の九州日本電気(現在はルネサス川尻工場)が世界一の半導体メモリー(DRAM)工場になり、ニッポン半導体は躍進の時を迎える。1984年当時のことである。これに刺激された工藤氏は、よし、それならば、この半導体ブームに乗って何か自分で創業してみたいと考えたのだ。

 86年2月に熊本市で創業するが、90年11月には有限会社ヒューマンという社名で半導体産業に人材を提供するカンパニーとしてスタートを切る。その後の動きは急ピッチというほかない。

 96年7月には半導体装置の設計を行うトレジャーオブテクノロジーを分社化して設立する。01年2月には熊本県益城町のテクノリサーチパークに本社を移転する。02年5月、熊本県合志市のセミコンテクノパークに本社の社屋を作り、移転する。03年10月にはなんと本社敷地内にクリーンルーム工場を完成させてしまう。その後は、大分に新会社、米国に新会社、台湾にも新会社などを次々と実現させ、中国上海にもヘッドクォーターとなる会社をスタートさせる。

 「当社はヒューマンという社名でスタートしたが、つまりは人=ヒューマンが限りない価値の源泉と考えてきた。人が切り開く未来は無限大とも思っている。そして、今日にあって世界を巻き込む一大半導体ブームが訪れているが、これまた人材がすべての基礎を担っている」(工藤社長)

 19年1月には会社名をマイスティアと変更する。これは、開拓者精神をもったフロンティアランナーのエンジニアを作っていくことを目標としたいという意味を込めた社名なのだ。現在は、1800人の人たちが働いている。

 「お客様の要望はなんといっても有能な人材が欲しいということであるが、どうにもこうにも、熊本県下は台湾TSMCの進出、ソニーの工場拡張、東京エレクトロンの開発強化などもあり、とにかく人の手当てをすることが大変困難になっている。そこで考えたことが、ロボットを導入されたらいかがですか、という提案なのだ」(工藤社長)

 これはまさにサプライズな「逆転の発想」以外の何ものでもない。つまりは、マイスティア自身がユニバーサルロボット社などの協働ロボットを活かしたスマートシステムの開発を行い、また製造し、生産効率を2倍以上に押し上げるという離れ業の提案をしているのだ。

 こんな考え方をもつ人材カンパニーはそんなにはいないだろう。ありがたいことに合志に作られたロボットソリューションセンターFAB3を見学できる機会に恵まれた。その詳細は、電子デバイス産業新聞の本紙で書くことにする。


泉谷 渉(いずみや わたる)略歴
神奈川県横浜市出身。中央大学法学部政治学科卒業。35年以上にわたって第一線を走ってきた国内最古参の半導体記者であり、現在は産業タイムズ社 取締役 会長。著書には『自動車世界戦争』、『日・米・中IoT最終戦争』(以上、東洋経済新報社)、『伝説 ソニーの半導体』、『日本半導体産業 激動の21年史 2000年~2021年』、『君はニッポン100年企業の底力を見たか!!』(産業タイムズ社)など27冊がある。一般社団法人日本電子デバイス産業協会 理事 副会長。全国各地を講演と取材で飛びまわる毎日が続く。
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