京都駅の正面口に立って、否が応でも京都タワーが目に入ってくる。このタワーは1964年(初めての東京オリンピックが開催された年)に立ち上がった。1000年の歴史を持つ京都の景観を壊してしまう、と当初はまことに評判が悪かったのである。ところが、今日にあってはインバウンドの人たちの目印ともなり、「オー!!ビューティフル!」などと叫んでいる外国の人たちを見る度に時代は変わったものであると切に思う。
京都タワーから5~6分も歩けば、東本願寺の境内に入れるのだ。そこからは西本願寺もあり、歴史の散歩道が始まる。京都タワーは鉄骨を一つも使わず、溶接だけで円筒型の塔身を作り、建築家の山田守が指揮を執り、京都大学工学部の棚橋教授が構造設計を担当した。そのモダンな設計と京都の古いお寺がマッチングしてくるとは、誰もが思わなかったのだ。
京都タワーの低層部はお土産ものの店、レストランなどがあり、修学旅行の若い人たちであふれ返っている。インバウンドの人たちも扇子、着物などに目を見張っている。中層部はホテルとなっており、筆者も泊まったことがあるが、これはあまり感心しない。狭くて設備がワルイのである。展望室には「たわわちゃん神社」があり、かつては地下に大浴場もあったのである。
それはともかく、2017年からは「ニデック京都タワー」が正式名称となっている。あの電子部品の最大手であり、いずれは10兆円企業を目指すというニデックが協賛企業となり、その名前をPRしているのである。国内外の観光客はいやでも京都タワーを見上げれば、ニデックという名前がアタマに刻みこまれるのかもしれない。そして、ネットでニデックを調べた人は、1000年の都、京都にこんな電子デバイス企業が本社を置いていることを知るだろう。
そんなことを考えながら、京都タワーから左に歩いていったらロームのビルに突き当たった。ロームは今や国内半導体企業ランキングの4位となる大手であるが、かつては東洋電具製作所という小さな中小企業であった。筆者はその頃からロームに通い続けているのだ。ロームはSiCパワー半導体で世界トップを取る!と宣言しており、九州・宮崎の40万m²に巨大新工場を建てるというのであるからしてこれまた驚きなのだ。
積層セラミックコンデンサーの世界チャンピオンの村田製作所、マスフローコントローラーの世界トップ企業の堀場製作所、電子部品大手の京セラ、半導体洗浄装置の世界的企業のスクリーンなど京都には先端ハイテク企業が数多いのだ。
村田製作所の村田恒夫会長にお会いする機会があったが、京都には何故に電子デバイス関連の大手が多いのですか、と聞いたらこんな答えが返ってきた。
「明治維新で天皇陛下が江戸・東京に行かれてしまった。トーンダウンをはね返すために京都人は頑張ったのではないかな。そして重要なことは京都大学、同志社大学、立命館大学、京都産業大学などすばらしい大学の存在があり、これが京都を活性化させ、東京には負けない!というスピリッツを培っていった。ノーベル賞の多くは京都大学が獲得している。古くて新しい街、京都には世界ステージで戦う企業がいっぱいいるのだ」
けだし、明言であろう。思えば、日本という国も2000年の歴史を持ち、万世一系の天皇を保持しており、そして電子デバイスという先端分野でも世界トップを行くものをいくつも持っている。京都の姿は、ニッポンのすべてを物語っているのかもしれない。
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泉谷 渉(いずみや わたる)略歴
神奈川県横浜市出身。中央大学法学部政治学科卒業。35年以上にわたって第一線を走ってきた国内最古参の半導体記者であり、現在は産業タイムズ社 取締役 会長。著書には『自動車世界戦争』、『日・米・中IoT最終戦争』(以上、東洋経済新報社)、『伝説 ソニーの半導体』、『日本半導体産業 激動の21年史 2000年~2021年』、『君はニッポン100年企業の底力を見たか!!』(産業タイムズ社)など27冊がある。一般社団法人日本電子デバイス産業協会 理事 副会長。全国各地を講演と取材で飛びまわる毎日が続く。