日本半導体製造装置協会(SEAJ)が結成されて30周年の節目を迎えた。この知らせを聞いて「思えば遠くに来たものだ」という思いが筆者にはある。半導体記者としてデビューしたのが1977年であり、わけも分からずに取材に明け暮れていた。そのころは、日本の命運をかける国家プロジェクトである超LSI技術研究組合の動きを取材するのに追われていた。そしてまた、それまでのマスクアライナーを置き換えるステッパーという画期的な装置が日本から誕生したことに驚かされた。80年代後半に日本勢の半導体生産が世界トップを極める前ぶれであった。
SEAJの設立は1985年であり、当時の話題はひたすらDRAMの集積度の向上と量産工場建設の話題ばかりであったように思う。しかし、この年は日航ジャンボ機の惨事があった年であり、老人たちをえさに2000億円もの金をかき集め破産した悪徳商法の豊田商事事件が発生した年でもあった。永野会長の惨殺写真はむごたらしかった。そのほかにも国鉄同時ゲリラ事件、大阪自販機農薬ドリンク事件、山口組の竹中組長射殺事件など、目を背けたくなるような暗い事件が相次いだ。
しかして、1985年という年は、半導体産業にとっても大不況の到来に見舞われ、これに関連して日米半導体摩擦が過熱していったのだ。この年の米国による感情的なまでの日本に対する報復的攻撃は凄まじかった。マイクロン、AMD、NSなどが日本メーカーに対しダンピング訴訟を次々と起こす。さらに次世代の256KDRAMについては当時のレーガン大統領自らが日本のダンピングに対する調査の開始を米国商務省に指示するにいたった。こうした米国の動きに対し、日本企業は必死の反駁を試みたが、「汚ねえニッポン、安売りニッポン」の罵声にかき消されていくのである。こうした流れが翌86年9月の第1次日本半導体協定につながっていくのだ。
こうした半導体を巡る日米摩擦進行のなかでも、若者たちはイッキイッキの一気飲みパフォーマンスで盛り上がっていた。子供たちはこの年注目を集めたファミコンに夢中になり、後のテレビゲーム大全盛の前兆を作っていた。先ごろ紅白歌合戦に出場し、オバサンになってしまったことを隠せなかった中森明菜は、このころ冷たいツッパリの魅力で人気絶頂であり、「ミ・アモーレ」で大ヒットを飛ばしていた。こうした年に日本半導体製造装置協会は誕生したのである。
さて、今年の1月8日に開催されたSEAJの新年会は、実に明るいものであった。丸山利雄会長は「IoT(インターネット・オブ・シングス)の到来が半導体の新時代をもたらす」と挨拶し、SEAJ30周年の節目であるだけに頑張りたいとの意思を表明された。主賓を代表して経済産業省の高田修三審議官が挨拶されたが、医療産業や航空機産業などの新アプリがデバイスの世界をさらに広げていき、これを支える半導体装置の重要度は増すことを示唆された。また、日本TIの田口倫彰社長は、米国のトリリオンセンサーの考え方によれば、半導体を何と7000億個消費する時代が来ると予想し、まだまだ電子デバイス全体の成長率は高いのだと強調された。
さて、公式発表によれば、日本製の半導体製造装置の2014年における販売高は1兆2936億円となり、実に前年比で14.7%も成長した。2015年の予測についても5.4%増の1兆3635億円になるとした。つまりは、半導体装置販売は3年連続で成長するとの見通しを立てたのだ。DRAMについては、1Xnm世代に向けた微細化の動きが出てくる。NANDフラッシュメモリーは15年度からデータセンター向けにも需要が拡大すると見た。ロジックに関しては14/16nmの本格量産と10nmへの投資が始まってくると想定している。
会場を一回りして業界の多くの方々と新年の挨拶を交わさせていただいたが、とにもかくにもみんな明るかった。東京エレクトロンの東哲郎会長などは「SEAJとしては来年の予測を5.4%増としているが、自分の考えでは10%増はいくぜ」とひたすら強気の姿勢を貫いていた。その横にいたある装置メーカーの幹部は、東京エレクトロンさんは台湾のTSMCにいっぱい装置が入っているから強気なのよね、と少し冷たく笑っていた。確かに台湾TSMCの2015年の設備投資は空前の120億ドル(日本円で何と1兆4000億円超)投入を計画しており、16/10nm投資に約8割を突っ込むという。注目されるのは、パッケージ分野への投資を本格化させる計画を立てていることだ。モーリス・チャン会長はパッケージの技術進展は10年間止まっていることを懸念しており、いくらウエハーの微細化を進めてもパッケージが今のままではどうにもならない、といつもため息をついているという。
ちなみにSEAJの新年会に来場している記者の顔ぶれを見たらやっぱり皆若かった。自分も無理をしてひたすら写真を撮っていたが、ロートル記者のそうした動きは醜いのよね、という冷たい視線で見られていた。若さは心の問題なのだ、とひとり呟いたが、会場の皆様の明るい笑い声にかき消されてしまった。
■
泉谷 渉(いずみや わたる)略歴
神奈川県横浜市出身。中央大学法学部政治学科卒業。30年以上にわたって第一線を走ってきた国内最古参の半導体記者であり、現在は産業タイムズ社 社長。著書には『半導体業界ハンドブック』、『素材は国家なり』(長谷川慶太郎との共著)、『ニッポンの環境エネルギー力』(以上、東洋経済新報 社)、『これが半導体の全貌だ』(かんき出版)、『心から感動する会社』(亜紀書房)など19冊がある。一般社団法人日本電子デバイス産業協会 理事 副会長 企画委員長。全国各地を講演と取材で飛びまわる毎日が続く。