1951年のことである。横浜市鶴見区栄町という場末の埋め立て地にひとりの子供が生まれた。父親は空手3段、柔道4段という強者であり、パチンコ、ビリヤードに明け暮れる人であったという。天真爛漫なこの人は後に盆栽の分野で有名になるのである。母親はミシンを踏んで子供3人を育てた苦労人。そして生まれた子供の名前は辻村学というのである。
辻村少年は典型的な落ちこぼれであり、勉強には全く身が入らなかった。市場中学校に進んでも、目立たない人であり、横浜市立東高校に入った時に、突然にして眼が開かれるのだ。
「両親ともにとにかくユニークな人達でした。父はとにかく先見の明がありました。50歳を超えてから盆栽の世界に入り、まず最初にカメラを買ったんです。素人なのにすでに10年先の盆栽を世に出すことを考えていたんですね。そして母は人を褒めて、褒めて、ただただ褒めて子供を育てる天才です。そんな両親に見守られて私は育ちました。落ちこぼれであっても、ある日あるときにエンジンがかかることがあるんですね」(辻村氏)
何かに開眼した辻村学氏は、勉学に注力するようになり、東京都立大学に合格する。機械工学を学び、卒論は熱機関(つまりはエンジン!)に関するものであった。そして、教授の推薦により荏原製作所に入社するのである。
辻村氏は当初水車部に配置され、水力発電プロジェクトに関わっていた。精密・電子カンパニーに参画したのは、1986年。ここでコーポレートプロジェクトであるCP 8501(通称真空プロジェクト)に加わり、会社としてもこれまでにない新しい領域である「半導体業界における荏原」をスタートさせたのだ。
「荏原はこの頃、創業70年を迎えており、風水力事業の実力は業界でも秀逸のものでした。つまりは半導体製造装置を作るためのポンプに必要な回転機械の製造技術は充分に蓄積されていたんですね。日本の半導体企業は当時爆発的な成長を続けており、東芝が1MビットDRAMの世界シェア90%を握るという時代でした。この波に何としても乗りたいとの思いが会社にも、私自身にもありました」(辻村氏)
今日にあって、荏原製作所は真空技術と平坦化技術のリーディングカンパニーとなっている。半導体製造に欠かせないドライ真空ポンプ、CMP装置は世界シェア2位というポジションにある。さらに排ガス処理装置、オゾン製造装置、精密チラーなどの製品群を持っている。
特にメタル膜CMP工程で強みを持っており、同分野では高い市場シェアを有している。近年は酸化膜CMP工程での事業拡大に注力しており、同工程が比較的多いメモリー分野での採用拡大に努めている。中国の合肥でドライポンプのオーバーホール工場を稼働させ、国内の主力拠点である熊本事業所の拡張を続けるなどのアクティブな設備投資計画を進めている。
「思い起こせば、まだ海のものとも山のものともつかない半導体装置の真っ只中を歩いてきました。ひたすらに清浄度を追求し、微細化を達成するための装置の研究・開発を続け、市場が必要とする技術を確立してきました。半導体に関わって、38年の歳月が流れましたが、全く悔いはありません。幸せだけがそこにあります」(辻村氏)
そして荏原製作所のフェローとなった辻村学氏は2023年11月9日、経産省推薦枠で「藍綬褒章」受章の栄誉に輝くのである。SEAJ(日本半導体製造装置協会)においては、1999年から24年間も活動し、SEMIも同じく24年間、JVIAも11年間関わり、SEAJからの推薦第1号となる受章であった。これに先立ち2023年11月1日にはICPT学会からのAWARDも受賞すると言う快挙となったのだ。
「バカ正直なまでにカスタマーの要求は常に受け入れ、そして実現してきました。インテルやIBMからも相当に鍛えられました。これが宝物だと思っています。仲間たちに対しては、技術の水先案内人になるようにと言ってきました。33年間にもわたりCMPの世界に生きてきました。こうした受章は、自分ではおもはゆいと思っていましたが、96歳になる母親の喜ぶ笑顔を見たい、親孝行と思って受けることにしました」(辻村氏)
落ちこぼれであった辻村氏を一所懸命に育てた両親の思いは、世界に広がる半導体の世界で開花した。今日になってダメな子供たちにも「あきらめないでください!!」と言う辻村氏の言葉はとても重いものがあるのである。
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泉谷 渉(いずみや わたる)略歴
神奈川県横浜市出身。中央大学法学部政治学科卒業。35年以上にわたって第一線を走ってきた国内最古参の半導体記者であり、現在は産業タイムズ社 取締役 会長。著書には『自動車世界戦争』、『日・米・中IoT最終戦争』(以上、東洋経済新報社)、『伝説 ソニーの半導体』、『日本半導体産業 激動の21年史 2000年~2021年』、『君はニッポン100年企業の底力を見たか!!』(産業タイムズ社)など27冊がある。一般社団法人日本電子デバイス産業協会 理事 副会長。全国各地を講演と取材で飛びまわる毎日が続く。