新型コロナの影響が徐々に薄まり、国内の観光客やインバウンドの数が日々増える中、関西に地盤を置く百貨店2社(阪急阪神百貨店、近鉄百貨店)が元気だ。2024年はバレンタイン商戦から両社の闘いが始まったが、互いに自社の強みをアピールし、多くの体験コーナーで来場者の目を釘付けにした。記者として参加した私も「あっ、このチョコレート欲しいな」と思わせるような演出が施されていて、両社ともに会期初日は長蛇の列を作っていた。新型コロナの感染拡大で、一時は存続の危機に追い込まれた2社であったが、見事なV字回復を果たしている。
阪急阪神百貨店は新型コロナが流行する前の18年に「阪神梅田本店」のI期工事を完了させ、先行オープンした。翌19年にはII期工事に着手し、「さぁ、これで全面オープンだ」という矢先に、新型コロナが蔓延。I期工事はすでに完了していたので、II期工事は当然行う予定であったが、立地する梅田エリアに人がいなくなった時は「この工事を続けていいのか?」と自問自答する社員も少なからずいたという。同社はこの阪神梅田本店の建て替えとともに、そごう・西武から取得した「神戸阪急」と「高槻阪急」のリニューアルもコロナ禍に実施した。神戸阪急は本館1~9階および新館1~8階、高槻阪急は地階~3階および5階を対象に改装を行い、神戸阪急はハレ型の品揃えを強化したほか、地域密着ライフスタイル型「神戸スタイル」ワールドを新設した。一方、高槻阪急は専門店と百貨店の強みを生かしたコンテンツを組み合わせ、業態ミックスによる効率的な店舗運営を構築し、「高槻阪急スクエア」に改称してリニューアルオープンした。まだ社会が平常化していない時期に、この2施設の改装を決断した荒木直也社長の手腕には目を見張るものがある。
近鉄百貨店はコロナ禍に入って2年目の21年に、新たな中期経営計画を策定した。「百“貨”店から百“価”店へ」を事業戦略とし、重点施策として、地域中核店・郊外店のタウンセンター化や百貨店の強みの収益事業化などを掲げた。タウンセンター化ではハンズが展開する「プラグスマーケット」や、婦人服、雑貨、食品などのカテゴリーを混合して売り場を作る「スクランブルMD」の導入に注力した。これらの取り組みに加え、自主事業(フランチャイズほか)の進化も進め、FC事業では物販店だけでなく、飲食店も展開するようになった。特に、FC事業は前述の「プラグスマーケット」とともに、飲食店の出店を相次いで行い、直近はラーメン店やカフェを開業した。「当社のFC事業は百貨店事業と比べて利益が出やすい」という声があり、その勢いはとどまるところを知らない。土台を作ったのは5月に退任する秋田拓士社長であるが、バトンを受ける梶間隆弘新社長がその土台をどう発展させるのか、私はすごく期待している。
互いに切磋琢磨してコロナ禍という苦境を乗り越えた2社であるが、私はこの2社にある共通点を見出している。それはトップの現場第一主義だ。一般的に、百貨店の社長は重要な記者会見やオープニングセレモニーで見かけるぐらいと思われがちだ。しかし、荒木社長も、秋田社長も事あるごとに姿を見かけることが多い。実際に足を運んで、自分の目で確かめて成果を確認する、そんな現場第一主義のトップがいたからこそ、コロナ禍の苦境も乗り越えられたのだと私は思う。今後、バトンを受け継ぐ次期トップたちも、現場第一主義を貫く姿勢は引き続き見せてもらいたい。