松田聖子生誕の地、福岡県久留米を走る
西鉄バスも100年企業となった
昨年末の紅白歌合戦で大トリを務めたのが何と松田聖子であった。告白するが実は筆者は希代の松田聖子の大ファンなのだ。ところが、「松田聖子が好きなのよね」といって、どれだけの女性に見下げはてた奴だという視線で見られたことだろう。50歳を過ぎても超アイドル、という偉大な存在であるのに、女性達の評価は厳しいのだ。郷ひろみと別れて泣きじゃくった時にも、筆者の妹などは「あのウソ泣きは見るのもけがらわしい」と吐き捨てるように言っていたものだ。最近に知り合ったさるインテリゲンチャの中高年女性も「やりたい放題やって、男を次々と替える。今は大好き!という歯科医にとろんと口を開けている聖子の姿を考えるだけでおぞましい」といっていた。
筆者はあの大晦日に食い入るような眼で、心の中で「聖子チャーン」と叫びながら松田聖子の晴れ姿を見ていたが、家族たちは皆一様に冷たかった。母などは「ふうーん。まだアイドルやってるのね。でも、やっぱり顔は老けたわよね」とのたまっていた。確かに、さしもの聖子もテンションが上がっていたせいか、高音は伸びておらずビブラートもダメだった。そして何よりも大トリを務める責任感からいつもの聖子スマイルが消えてしまっていた。歌唱は良くなかった。不世出の名曲「あなたに逢いたくて」もかすんでしまった感があったのだ。それでもうっとりして見ていたら、またもや母が「このあなたに、というのはどの男のことを指すのかい。不潔な歌だわ」と吐き捨てるように言っていた。
さて、まことさように、すべての女性の敵ともいうべき松田聖子の出身地はどこであろう。それは福岡県久留米であり、東芝創業者の田中久重を生み出したところでもある。田中久重は幕末の日本にあって通称「からくり屋儀右衛門」と呼ばれる市井の発明家であった。長じてはアームストロング砲を開発し、上野の彰義隊をこっぱみじんにするという大功労を成し遂げた。年をとって郷里に引っ込んでいたが、明治政府はこの男を放ってはおかなかった。グラハム・ベルに続く日本初の電話機を開発せよ、との命を受け、田中久重は上京し、銀座に電機会社を設立する。これが東芝の始まりであり、実に140年以上も前のことになるのだ。
東芝は電話機、無線通信、重電プラントに展開し、戦後は白物家電で名を上げ、世界初のワープロを作り上げ、現在では半導体と原子力発電で確固たる地位を築いている。同社が開発しているMRAMという半導体メモリーは電子のスピン技術を使うもので、これまでのDRAMに比べ消費電力を100分の1にする。140年を駆け抜けても、東芝はいまだに世界最先端を追い続けている。
そして、また世界No.1のタイヤカンパニーであるブリヂストンも久留米が創業の地であり、航空機やトラクターに使う大型タイヤは同社の独壇場であり、他の追随を許さない。この会社もバリバリの100年企業なのだ。
東芝と重電分野で常に闘ってきた日立製作所もまた100年企業であり、かつてリーマンショックの時には明治維新以来150年間で史上最悪の赤字8000億円を計上し、話題となった。大日立もこれでおしまいね、という多くの声があるなかで、どっこい日立は鮮やかに甦った。社会インフラをベースとする事業にフォーカスし、徹底的な大企業病を排し、現場に多大の権限を与え、組織は活性化した。そして2年連続の最高収益を叩き出しているのだ。
繊維の老舗メーカーである東レは、まだ筆者が入社したころの70年代後半には東洋レイヨンといっていた。繊維の世界で言えば日清紡、カネボウ、東洋紡、帝人などがまだまだ強い存在感を放っていた。東洋レイヨンは、要するにそれほどの会社ではなかった。ところが、今日にあって東レは繊維業界No.1であり、売上2兆円を見通せる地位にあり、そして何よりもビックリさせられたことは、ボーイングからの炭素繊維の1兆円受注という離れ業であった。
お美しいセレブのお姉さまがつけている高級下着は、旭化成のベンベルグであることが多い(確認したわけではない)。そしてまた、30万円以上する背広の裏地も同じくベンベルグである可能性が強い。100年企業の旭化成が生み出したベンベルグは、今や世界のオンリーワン製品であるが、実に75年前の技術なのだ。このベンベルグの中空糸の技術を使って旭化成は人工腎臓の世界に乗り出し、今やトップの覇権を争うまでになってきた。
松田聖子と同じ時代にデビューした多くのアイドルたちは見事なくらいに消えていった。そしてまた、2014年末の紅白の大トリを誰にやらせるかという議論になった時でも、おそらくNHKスタッフの間では「石川さゆりも八代亜紀も古すぎる」「ガキンコのAKB48ではどうにもならない」というなかで、少々の異論はあっても松田聖子しかない、という結論に行き着いたのだろう。
生き残ったものが勝つ、という姿を松田聖子は紅白の舞台で見せつけた。企業ビジネスの世界にあっても100年間という長い年月を生き抜いてきたカンパニーにはそれなりの存在感がある。伝統を守り、しかして常に革新を忘れず、しかも人材を大切にする、というコンセプトが100年企業には多い。そして、常にニッポンの企業はこのコンセプトを大切にしてきた、と思えてならない。
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泉谷 渉(いずみや わたる)略歴
神奈川県横浜市出身。中央大学法学部政治学科卒業。30年以上にわたって第一線を走ってきた国内最古参の半導体記者であり、現在は産業タイムズ社 社長。著書には『半導体業界ハンドブック』、『素材は国家なり』(長谷川慶太郎との共著)、『ニッポンの環境エネルギー力』(以上、東洋経済新報 社)、『これが半導体の全貌だ』(かんき出版)、『心から感動する会社』(亜紀書房)など19冊がある。一般社団法人日本電子デバイス産業協会 理事 副会長 企画委員長。全国各地を講演と取材で飛びまわる毎日が続く。