久方ぶりに会ったその男の姿は何かが変わっていた。何よりも顔が精悍となり、色黒になっていた。しかして、眼光は柔らか味を加え、鋭くなっていたのだ。20年前に24歳の若さで創業したその男の名前は若山陽一、という。たった2人で横浜のボクシングジムの一角で会社を立ち上げ、いくつかの苦難を乗り越え、その会社は2003年に株式公開し、2015年3月期の売り上げは過去最高の360億円に達するのだ。その会社はUTグループ、といわれている。
「リーマンショックの時には6000人いた社員が3000人となり、売り上げでも最低の180億円に落ち込んだ。それでも創業時に賭けた夢は捨てたくなかった。人材の仕事で世界に貢献し、世界中に多くの教育機関を作り、ノーベル平和賞を取りたい。この夢がある限り、地べたを這いずり回っても、この会社の存続を図ろうと死に物狂いになった」(UTグループの若山陽一社長)
若山陽一氏は大手人材派遣会社に勤めていたが、「職を求める人」と「人を求める企業」の双方に貢献したいとの思いから、新たな企業コンセプトに基づくベンチャーを起業しようと考え、友人の加藤氏とたった2人で創業する。当時の業界の常識を覆す「正社員雇用=常用雇用」「社会保険100%加入」を掲げ、さらに「製造業の工程一括請負」という独自のビジネスモデルを確立していく。しかも高度な専門性を要する半導体分野に的を絞ることで、この分野でNo.1の実績を誇るまでになっていくのだ。
「半導体一本にフォーカスする戦略はまさに時流に乗った。2003年にはアウトソーシング業界で初めてJASDAQ市場への上場を達成する。この時、業界で初の社員持株会を発足させた。とにかく、怖いもの知らずであった。若かったし、楽しかったし、何よりも社会に貢献しているとの思いで幸せいっぱいであった」(若山氏)
しかして、リーマンショックに端を発する世界同時不況がUTグループを直撃する。一気に業績が悪化する。加えて、これまで同社を支えてきた日本の半導体企業の大きな後退が始まり、屋台骨が揺らいでくる。社業のどん底、さらには出口の見えない迷走モードに突入し、それでも若山氏の信念は変わらなかった。
「脱・半導体による顧客分散を図る戦略転換を行った。半導体は私たちを発展させてくれた最大の産業であったが、日本企業のシェア後退、工場の縮小、売却などが相次ぎ、当社の業績も連動して悪化していく。それでも、やっぱり半導体で培ったお客さまたちの人脈、営業ルートが結局は私たちを救ってくれた」(若山氏)
つまりは、半導体で付き合ってきた方々がエネルギー産業や自動車分野、一般電子部品分野などに事業を横展開していく波をきっちりと読み切り、半導体一本槍であったユーザーの構成を変えていく。2014年3月期段階では、全体顧客の42.4%が半導体・電子部品分野であるが、これは1年前の63.2%に比べ大きく縮小している。もっとも半導体・電子部品分野も伸びているのであるが、それ以外の分野が成長してきたのだ。つまりは、全体の25.8%を占める環境・エネルギー分野、同14.1%の自動車関連分野、同9.4%の住宅分野などが伸びてきたことで、リスク分散による安定性が向上する。
2014年3月期の売り上げは307.7億円(前期比10.5%増)、営業利益は18.2億円(同23.8%増)となり、1株あたり配当金は13円50銭。顧客工場数は2013年3月期の395社から413社に拡大、社員稼働人数も6821人から7768人に増えてきた。
2015年3月期については360億円以上の売り上げが見込まれ、社員総稼働人数も9000人を超えてくるという。2016年3月期までには、売り上げ400億円達成、人員1万1000人突破、営業利益40億円を目指していくという。その計画が達成されれば、製造派遣業界でNo.1シェアを取ることも夢ではないのだ。その先の将来の目標は何ですか、という質問に対し、黒光りのイケメン顔をした若山氏は少し笑ってこう答えた。
「雇用を守る、拡大するのは社会的な使命だと考えている。将来的には2万人体制の実現を目指す。それよりも大切に考えていることは、5年後に我が社の派遣社員を筆頭株主にすることだ。成長を勝ち取ったうえでの利益を社員に分配、これが今の時代には必要なことだと思えてならない。20年前にはたった300万円で作ったこの会社の利益が、多く自分に帰属するとは考えない」
この若山氏の言葉を聞いて筆者は唸った。どのような苦難をも乗り越えていったUTグループの団結力、求心力は、この創業者の哲学から生まれるのだろう。「1人は全体のために」「全体は1人のために」という70年代に流行したフレーズが、電撃のように頭の中を駆け抜けていった。
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泉谷 渉(いずみや わたる)略歴
神奈川県横浜市出身。中央大学法学部政治学科卒業。30年以上にわたって第一線を走ってきた国内最古参の半導体記者であり、現在は産業タイムズ社 社長。著書には『半導体業界ハンドブック』、『素材は国家なり』(長谷川慶太郎との共著)、『ニッポンの環境エネルギー力』(以上、東洋経済新報 社)、『これが半導体の全貌だ』(かんき出版)、『心から感動する会社』(亜紀書房)など19冊がある。一般社団法人日本電子デバイス産業協会 理事 副会長 企画委員長。全国各地を講演と取材で飛びまわる毎日が続く。