電子デバイス産業新聞(旧半導体産業新聞)
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第105回

青色LEDのノーベル賞3人受賞は、ニッポン半導体の快挙なのだ!!


~中村修二氏が在籍した日亜化学工業は今も世界チャンピオンで増強急ピッチ~

2014/10/17

 「青色LED発明により赤崎勇氏、天野浩氏、中村修二氏がノーベル賞を受賞することに決まったことはまさに快挙であるといえよう。何しろトーマスエジソンが発明した白熱電球に取って代わる新たな照明を作り上げたわけであり、まさに100年に1回という発明であった。この受賞の知らせで日本中が沸きかえっているが、低迷する日本の半導体企業は、この受賞の意義をどう考えているのか、聞いてみたいところだ」

 こう語るのは、著名な半導体アナリストの南川明氏である。南川氏の言わんとすることは筆者にも良く分かる。つまりは、半導体の研究開発投資に手を抜き、次世代半導体の展望の道筋をつける投資にも腰が引ける日本勢にあって、このノーベル賞の快挙はまぶしいばかりだ、といえるのではないか。しかして、この3人の受賞者も決して恵まれた環境で開発していたわけではない。たった一人の戦いを続けてきたわけであり、恵まれない条件のなかで半導体の世界をブレークスルーした技術に辿り着いたのだ。

 筆者は赤崎先生には何度かお目にかかったことがある。また、天野先生とは名古屋で一緒に講演させていただいた。中村修二氏は筆者が所属する半導体産業新聞にも何回かインタビューでご登場いただいたことがある。この3人に共通するのはいずれも研究の鬼であり、何としても人類に貢献するデバイスを作り上げて見せるという強い意志であった。

 産業タイムズ社刊行の日本半導体50年史によれば、中村修二氏は当初京セラに入社するはずであったが、恩師である多田教授の助言により地元の徳島での就職を決意する。中村氏は1979年4月に日亜化学工業に入社した。松林の中にあるその社屋は、硫化水素のにおいの立ち込めた、いかにも田舎の化学会社の趣であった。中村氏は「これで自分の研究への思いは完全に断たれたのだ」と実感したという。入社して88年までに日亜ですべてのLEDの工程を自らの手で完成したものの、売り上げに寄与することはなかった。クビを覚悟した中村氏は、10年間も温めてきた青色LEDの開発に取り組むことになる。

 「大企業が優秀な人材や多くの資金を投入しても青色LEDはできなかった。過去の研究スタイルにしがみつくのはやめた。文献などは一切見ないようにした。ほとんど半ばやけくそで窒化ガリウムを材料に選んだ。89年に米フロリダ大学に半導体薄膜装置について学びに行ったが、論文を書いた実績がなかったので相当見下された。悔しかった。何としても相手をうならせる論文を書こうと必死になった」(中村氏)

 92年の終わりごろにはダブルヘテロ構造のPN接合を結晶性の良い膜で実現することができるようになり、ついに従来より100倍明るい1cdの青色LEDの開発に成功するのだ。1年近くかけて量産ラインを構築し、製品化を発表したのは93年11月である。このときに東北大学の西澤潤一総長を訪ねたが、西澤氏の感動ぶりは大変なものであり、次のような讃辞を送られた。
 「青色発光の光を見て、一段の成功の次に二段目がある。二段の成功の次に三段目がある」

 さて、かつて中村氏が所属していた日亜化学工業は、徳島にあってLEDの世界チャンピオンの座を守り続けている。スマートフォン、タブレット端末向けの需要増加に加えて、ヘッドライトなどの車載用やLED照明市場が拡大したことにより、売り上げが確実に伸びている。研究開発にも熱心であり、2012年11月には発振波長525nmで出力1Wを超える純緑色LDの開発に世界で初めて成功した。

LED世界一の日亜化学工業がある徳島はLEDバレイを構築している
LED世界一の日亜化学工業がある徳島は
LEDバレイを構築している
 日亜は今後もLED生産能力を急速に引き上げていく計画を打ち出している。従来は2015年度までに年産600億個を目指す方針であったが、これを1000億個に上方修正した。特に高輝度LEDの供給能力拡充を考えており、2015年度段階で売り上げは約5000億円に持っていく考えなのだ。

 「中村氏が日亜化学で頑張っていたころには、ニッポン半導体はまさに全盛時代を迎えていた。それぞれの企業の生産工場では鬼軍曹ともいうべき人たちが多くいて、現場を厳しく仕切っていた。また研究開発の分野においては『必ず一発狙ってやる』という輩がごろごろいた。半導体に夢を懸ける連中は、どんなに苦しくても音を上げなかった。それから多くの年月が流れ、今や世界シェア10%強しかないニッポン半導体は、世界の流れから大きく取り残されてしまった」(南川明氏)


泉谷 渉(いずみや わたる)略歴
神奈川県横浜市出身。中央大学法学部政治学科卒業。30年以上にわたって第一線を走ってきた国内最古参の半導体記者であり、現在は産業タイムズ社社長。著書には『半導体業界ハンドブック』、『素材は国家なり』(長谷川慶太郎との共著)、『ニッポンの環境エネルギー力』(以上、東洋経済新報社)、『これが半導体の全貌だ』(かんき出版)、『心から感動する会社』(亜紀書房)など19冊がある。日本半導体ベンチャー協会会長。全国各地を講演と取材で飛びまわる毎日が続く。
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