世の中には多くのグローバルニッチカンパニーというものがある。売り上げそのものは巨大でなくても、その分野においては圧倒的な世界シェアを持つというカンパニーは、この日本には数多く存在するのだ。浜松ホトニクスというユニークな半導体カンパニーもまたそうした一社である。
「浜松ホトニクスの前身は浜松テレビという会社であった。大正15年(1926年)にかの高柳健次郎博士の研究チームが、世界で初めて電子式テレビで『イ』の字を映し出すことに成功したが、その門下生ともいうべき堀内平八郎が当社の創業者である。高柳博士の新しいものを生み出そうというときの心持ちが、浜松ホトニクスに脈々と受け継がれている」
浜松ホトニクスの山本晃永専務(左)と
宮城県の若生副知事(右)
こう語るのは浜松ホトニクス(株)代表取締役専務取締役固体事業部長の山本晃永氏である。今日にあって浜松ホトニクスは、もはや中小ベンチャーとはいえない存在となった。東証1部上場会社であり、連結売上高は約1000億円、従業員数は3285人という陣容を整えるに至った。主な営業品目は、光電子増倍管、イメージ機器、光源・LED・LD、光半導体素子、画像処理・計測装置をラインアップ。こうした様々な製品の出口としては、実に医療分野が全体の55%を占めるというのだ。
山本専務はみやぎ高度電子機器産業振興協議会の講演会に招かれるかたちで仙台まで来られたが、浜松ホトニクスという会社の生き方について実に示唆があるお話をされた。
「なぜに医療分野に徹底フォーカスしたかといえば、常に高品質・高機能を求められるが、高価格で買ってくれるからだ。つまりは民生品のような激しい価格競争の中にはない。そしてまた、大手メーカーのような力技でビジネス展開できなかった当社は、圧倒的に差別化する技術を生み出すしかなかった。それが結果的に今日の姿を作ってくれたのだと思う」(山本専務)
浜松ホトニクスは光電子増倍管(PMT)の分野で実に90%強の世界シェアを誇っている。このデバイスは高感度の光センサーであるが、要するに真空管なのだ。この技術をきっちりと保持し続けたことがグローバルニッチトップにつながっていく。固体事業部はまさに特殊な半導体を量産する部署であり、医療・計測に特化した光半導体センサーを最大の武器にしている。
シリコンフォトダイオードで頭角を現し、その後、障害者のリハビリに使う位置検出器を開発、CMOSセンサーやCCDも手がけている。シリコンプロセス、化合物プロセス、MEMS技術の組み合わせにおいて、同社は世界に最先行する技術を持っている。2012年にはMEMSマイクロミラーを発売し、世の中を驚かせた。設備投資も積極的であり、ここ数年は毎年のように工場の新増設を進めている。
「当社の光半導体製品は医療分野に一番多く使われているが、最近では自動車向けが急速に増えてきた。車載用フォトICは、ヨーロッパや米国の自動車メーカー向けに伸びている。車内の光通信用フォトIC、防眩ミラー用フォトICなどは世界的にもシェアが高い製品だ」(山本専務)
浜松ホトニクスの技術は、ノーベル賞に貢献したとして一時期大いに話題になった。つまりは、小柴昌俊博士のニュートリノ実験に使われたスーパーカミオカンデに同社の20インチ径光電子増倍管が1万1200本も使われたのだ。今後こうした素粒子に関する研究はさらに加速するといわれている。500GeV~1TeVクラスの電子・陽電子衝突型直線加速器を世界に1カ所作る計画があり、実に総工費8000億円といわれている。浜松ホトニクスの技術はこの新たな加速器にも大きく貢献するはずだ。
ところで、中小ベンチャーの生き方はどうあるべきか、という質問に対し、山本専務の答えは実に明確であり、次のようなものであった。
「顧客の皆様から言われたことに対しては、決してノーは言わない。その結果として多くのメーカー様に取引ができても、常に中立のポジションを守っていく。しかして、結果的には、ある分野で独占的なシェアを獲得していくのだ。つまりは、圧倒的な競争力を身につければ、価格に左右されないビジネス展開が可能になる」
けだし名言である。しかしながら、これがなかなかできない。
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泉谷 渉(いずみや わたる)略歴
神奈川県横浜市出身。中央大学法学部政治学科卒業。30年以上にわたって第一線を走ってきた国内最古参の半導体記者であり、現在は産業タイムズ社社長。著書には『半導体業界ハンドブック』、『素材は国家なり』(長谷川慶太郎との共著)、『ニッポンの環境エネルギー力』(以上、東洋経済新報社)、『これが半導体の全貌だ』(かんき出版)、『心から感動する会社』(亜紀書房)など19冊がある。日本半導体ベンチャー協会会長。全国各地を講演と取材で飛びまわる毎日が続く。