商業施設新聞
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No.457

東北被災地にも4度目の初夏が訪れる


登坂 嘉和

2014/5/20

 東日本大震災の発災から3年2カ月が経過した。5月の連休は毎年、東北被災地を訪れているが、今回は南相馬市や名取市、石巻市を巡った。どの地域でも海岸に近い津波浸水地域は建物の土台を残して更地が広がり、釣り人や潮干狩り、農作業の人々もまばらな状況だった。行政は、暮らしを守るための社会基盤の再生、整備を優先しており、海岸線や河川の堤防のかさ上げ、ガレキ処理などは着実に進んでいた。

 名取市の閑上港は、名取川の河口にある漁港で、運河「貞山堀」を経て仙台城下に繋がっている。特に「ゆりあげ港朝市」は有名で、仙台市民や県外の観光客で賑わっていたが、津波で町ごと流されてしまった。ゆりあげ港朝市協同組合は2011年3月下旬にイオンモール名取の駐車場を借りて朝市を再開し、地域の人々に勇気と希望を与えた。そして13年12月に閑上地区で全面再開した。カナダ政府の支援で建設された「カナダ―東北友好記念館」の“メイプル館”(飲食店と土産物店)と、海産物ほかを扱う約50店が出店し、賑わいを再生している。

閑上港近くの日和山と鯉のぼり
閑上港近くの日和山と鯉のぼり
 ゆりあげ港朝市の周辺は、東側に数少なくなってしまった漁船の船溜まりの閑上港、北側に高さ5~6mの日和山「富主姫神社」があるだけで、周囲は見渡す限りの平野が広がっている。再開された朝市には、かつての賑わいを知っている多くの人々が買い物や観光に訪れている。当日は旧かまぼこ工場と日和山を繋いだロープに大小の鯉のぼりが青空に泳いでいた。

 石巻市では、日和山南側の南浜はほとんどの建物が津波で流され、その後、高く積まれた廃自家用車の処分も終わり、石巻市立病院も解体撤去されている。現在は手前に寺院と墓地が残るほかは石巻湾まで平地が続いていた。
 ここに住んでいた人たちは、内陸部の仮設住宅や借上げ住宅などで仮の生活を送っている。特に同市が整備した工業団地「トゥモロービジネスタウン」には1100戸を超える仮設住宅が整備された。ただ、旧居住地区別に住民をまとめるようなコミュニティの形成がなされなかったため、見知らぬ住民同士の諍いや、老人の孤立が問題になっていると聞く。石巻市では、三陸自動車道北側の蛇田地区で大規模な住宅地、災害復興住宅の開発に着手しており、新たな町の整備に合わせてJR仙石線と新駅の移設も検討している。

旧北上川と中瀬
旧北上川と中瀬
 石巻市の中心市街地は、活性化が課題となっていたが、今回の震災により街並みの喪失が加速する状況となった。街を訪れる度に旧商店や住宅が解体され、更地が増えている。
 こうした中、旧北上川河畔と目抜き通り“アイトピア通り”を結ぶ「松川横丁」の再開発が始まっている。割烹や旅館、老舗陶器店などが集積した通りで、松川横丁ハウス建設組合が3階建ての店舗・住宅複合棟を建設し、シェアハウスやオフィスも導入する。仮設の食事処「松竹」では若者達で賑わっており、松川横丁を基点に賑わいの再生が期待される。
 石巻市は、海と港町、運河、高台の日和山があり、横浜の元町、山手を連想させる。旧北上川の中瀬で被災した石巻ハリストス正教会の移転・再建も検討されており、東北の港町の再生に期待したい。

 一方、福島県の浜通り地区は原子力災害で将来の見通しが立たない状況だ。宮城県の仙台東部道路から福島県の常磐自動車道を経由して東京方面に向かったが、途中の国道6号線は浪江町高瀬川橋から富岡町新夜ノ森間の約30kmが帰還困難区域に指定されて通行止めとなっており、JR常磐線も原ノ町から広野町まで不通の状況だ。
 常磐自動車道は14年2月に常磐富岡ICから広野IC間で通行を再開し、14年度内にも山元IC~相馬IC間の開業を目指している。残る区間は、帰還困難区域を含む南相馬IC~浪江IC~常磐富岡IC間の約32kmが開通すれば、東京から仙台まで東北自動車道と常磐自動車道の2路線が完成する。ただ、現実は南相馬市から内陸部の飯舘村、川俣町、田村市、小野町まで約130kmを迂回することになる。沿道の民家はカーテンが閉められ、自家用車も見当たらず、ガソリンスタンドや各種店舗も閉店している。早期に国道6号線の復旧と常磐自動車道の全面開通、道の駅の再開を期待したい。
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