電子デバイス産業新聞(旧半導体産業新聞)
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第455回

「日々の仕事に帰れ」と叱咤したマックス・ヴェーバーの哲学は正しいのかもしれない


営利の追求を敵視するキリスト教の経済倫理が、実は近代資本主義に大きく貢献

2021/10/29

 毎年12月のクリスマスが近づくと、会った人たちによく聞かれることがある。それは、クリスマスイヴをどこでどのように過ごされるのですか、という質問なのである。

 筆者よりもかなり年上の人たちは、何と、美しきお姉さまたちがぞろぞろと侍っているキャバレーでクリスマスイヴを過ごす人たちが多かった。黒澤明の映画にも、それは描かれている。何とも信じられないことに、女房や子どもを家に置いたままに、見知らぬキャバレーの女性たちと肩を組みながら「きよしこの夜」などを歌っているおぞましい光景が、そこにはあったのだ。その後、中産階級が多くなっていく日本にあっては、真面目なお父さんたちはキャバレーやバーには寄らずに、クリスマスプレゼントとケーキやお寿司を買って、家路に急ぐようになったのである。

 それはともかく、筆者は前記の質問に対して、事もなげにこう答えるのだ。

「12月24日の夜は、教会にいて、キャンドルサービスに参加し、讃美歌を歌っている」

外国人の多い横浜にはキリスト教が根付いている(元町の裏手)
外国人の多い横浜にはキリスト教が根付いている(元町の裏手)
 これを聞いた人たちは皆一様に、「サプライズですう。アンビリーバブルなことよ」と叫ぶのである。筆者は別にクリスチャンであることを隠してはいないが、日頃の下品な行動、品格のない言葉、そして何よりも、下から上を見上げる卑しい視線などを見て、とてもではないが、筆者とクリスチャンはまったくイメージが直結しないのである。だいたいが「モーゼの十戒」のうち、守っていることはたったの二つしかない。そして日常生活の中で、神に背くばかりの行動をしていることは、決して否定はしない。

 ところで、クリスチャンであるならば、清貧に甘んじ、金にがめつくなく、そして自らを律するピューリタリズムであるべきだとおっしゃる輩は多い。そうした考えから見て、泉谷クンはもってのほか、と映るのであろう。

 しかして筆者は声を大にして言いたい。あなたは、マックス・ヴェーバー(1864年~1920年)の『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を読んだことがあるのか、と叫びたい。これは、古今東西の名著の中でも筆頭格とも言うべきものなのだ。

 周知のように、中世の西洋社会を牛耳ったローマ教会は、近代に入るとともに急速に衰えていく。産業革命の波が各国に押し寄せ、一方でフランス革命に代表されるように、自由の精神を高らかにうたうルネッサンスも巻き起こってくる。そうした近代の始まりは、必然的にキリスト教の古臭い精神を打ち破っていくことが多かった。

 近代資本主義が進展していく中で、キリスト教会は営利の追求を敵視する考え方に染まっていく。儲けることは罪悪だ。金を貯める人間は、神に背いている。金儲けは人間を堕落させる。こういったオピニオンが強くなってきた時に、マックス・ヴェーバーは前記の本を書くのである。すなわち、第一次大戦後の混迷したドイツの中にあって、青年たちは事実の代わりに世界観を求めた。認識の代わりに体験を求めた。教師の代わりに指導者を欲した。

 こうした流れが、残念ながら第二次世界大戦の大混乱を呼ぶナチス・ドイツを創っていくことになる。ただ一方で、マックス・ヴェーバーは、まったくの逆説を唱え始める。それはすなわち、ひたすら営利の追求を否定するキリスト教の経済倫理感が、実は近代資本主義の生誕に大きく貢献したのだという歴史を説明してみせたのである。シンプルに言えば、女工さんたちが紡績工場で流している汗、道路工事の青年が土を掘るシャベルの音、油まみれになって機械製造に打ち込んでいる人の真剣なまなざし。そうした日々の仕事がイエスキリストの言う神の道につながるという画期的な逆説論に結び付いていく。

 そしてまた、マックス・ヴェーバーはこうも言うのだ。

 「営利の追求によって進展していく資本主義は、結果的には多くの大衆たちに富をもたらす。貧しかった人たちが豊かになってくる。それを否定することはできない。ただし、そこで生まれた富の分配が問題になってくる。富める者と貧しい者の格差がひどくなれば、不平等の社会が存在する」

 マックス・ヴェーバーの思想哲学の上に立って、完全なる平等を標榜するカール・マルクスの『資本論』が出てくるのである。それすなわち、共産主義の胎動であった。

 こうしたことを考え合わせれば、どのようにいい加減な言葉を吐き、人々を幻惑し、かつ自分をも笑い飛ばす皮肉屋である泉谷クンは、「ひたすらに仕事だけは聖域であり、天につながる道」と考えるのは、決して矛盾はしていないのだ。

 マックス・ヴェーバーは、混乱したドイツの中にあって、青年たちに「職業としての学問」という名高い講演を行う。そして、世の中の流れに惑わされず、自己をきっちりと確立し、流行に左右される弱さを克服しろとして、こう叱咤したのである。

 「今こそ君たちは、日々の仕事に帰れ!!」
(企業100年計画ニュースより転載)


泉谷 渉(いずみや わたる)略歴
神奈川県横浜市出身。中央大学法学部政治学科卒業。35年以上にわたって第一線を走ってきた国内最古参の半導体記者であり、現在は産業タイムズ社 代表取締役 会長。著書には『自動車世界戦争』、『日・米・中IoT最終戦争』(以上、東洋経済新報社)、『伝説 ソニーの半導体』、『日本半導体産業 激動の21年史 2000年~2020年』、『君はニッポン100年企業の底力を見たか!!』(産業タイムズ社)など27冊がある。一般社団法人日本電子デバイス産業協会 理事 副会長。全国各地を講演と取材で飛びまわる毎日が続く。
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