「IoTは生産現場の革新から始まってきた。様々なIoT関連の製品が世に出始めたが、言うところのスマートグラスについては、セイコーエプソンのMOVERIOだけが市販で買える一般製品なのだ。これを知らない方も多い」
慎重に言葉を選ぶように語るこの人こそ、セイコーエプソンにあってHMD(ヘッドマウントディスプレー)事業推進部の部長を務める津田敦也氏である。世界最大のフラットパネルディスプレーの技術展として知られるファインテック ジャパン2016(4月6日~8日、主催はリードエグジビション ジャパン)の技術セミナーの壇上における発言である。
IoT革命を推進するスマート製品についてはスマートウオッチ、スマートグラス、スマートリング、はてはスマートブラジャーなど様々なものがラインアップされている。スマートウオッチについてはかなり値段も下がってきて汎用のものが出始めているが、まだまだこれを身につけている人は圧倒的に少ない。スマートグラスについてはグーグル、ソニー、キヤノン、東芝、トビーテクノロジー、NTTドコモなどが次々と参戦を表明し、一部はかなり開発が進んでいるものの、汎用の市販製品として売り出しているのはセイコーエプソンだけである。
ちなみに筆者は、もともとスマートグラスは「盗撮の恐れあり」と懸念を持っており、女性たちはパッと見られただけで画像を撮られてしまうという恐れを否定できない、と言い続けてきた。また企業機密の重要書類もスマートグラスでちょっと見ただけですべて盗んでしまうことができる。そしてつまるところは、米国司法省が民生用のスマートグラスについてはまかりならん、という発令をしたことは当然のことだ、とうなずいていた。
それはともかく、工場の生産現場におけるスマートグラスは大活躍のステージが待っていることは間違いがない。そして、エプソンがいち早くMOVERIOを作り上げ、現場作業の分野に応用する市場を構築しつつあることには敬意を払っている。
「MOVERIOはエプソンの持つマイクロピエゾ、マイクロディスプレー、センシング、ロボティクスといったコア技術を駆使し、垂直統合型モデルで作り上げたものだ。仕事のやり方を変える、業務用のスマートグラスのヘッドセットであるBT-2000および自由なスタイルで映像を楽しむスマートグラスであるBT-200の2つの種類がある」(津田部長)
MOVERIO BT-200はBtoC向け製品であるが、まさにセンサーの塊だ。ジャイロセンサー、地磁気センサー、加速度センサー、ミュートノックセンサーなど様々なセンサーが搭載されており、30万画素のカメラ機能もついている。VR(仮想現実)とは異なるAR(拡張現実)の世界が楽しめるものとして様々なアプリケーションが出てきているのだ。
「中国観光客に大人気の大阪ユニバーサルスタジオのアトラクションであるバイオハザードにエプソンのスマートグラスを採用していただいた。大きな反響があったという。また、水道タンクの見学会をする折に、タンクの中の姿をスマートグラスのARで見せたところ、子供たちが感動して笑い出したというケースもある。映画におけるバリアフリーも実現できる。字幕が見えない人にも言語を与えられるというすばらしさがある」(同氏)
つまりは、映画鑑賞、映像観賞、観光など今後MOVERIOが切り開く世界は、無限大といってもいいほどのアプリケーションがあるのだ。これを業務用途に使った場合は、どうなるのか。BT-2000はBtoB向けの製品仕様であり、ヘッドセットとコントローラーの組み合わせとなっている。耐久性、安全性、装着性に優れており、現場作業者の作業手順のサポート、遠隔での作業における情報共有、製品修理や保守工程の映像を見ながらの作業遂行など非常に多くの利点がある。ハンズフリーで作業がしたい、現場の作業を正確に共有したい、作業者の状況を確認したい、屋内、屋外、様々な現場で仕事をしたいというユーザーニーズに応えて開発した製品なのだ。
IoT革命の走りとも言うべきBT-2000は500万画素の高解像度のステレオカメラ、エプソン独自の光学エンジンによる高輝度ディスプレーを積み込んでいる。また、高精度センサーとしてエプソンオリジナルの技術であるIMU(慣性計測ユニット)を搭載、ジャイロセンサーと加速度センサーによる高精度なヘッドトラッキングや屋内での正確なナビゲーションを可能にしたのだ。
筆者はこのセミナーセッションの司会を引き受けていたが、最後に高精度センサーの技術はすごいですね、と質問をぶつけたところ、津田部長は少し笑いながらこう答えたのだ。
「ご指摘のとおり、ジャイロセンサーとMEMSセンサーとを組み合わせた特殊なセンサーはエプソンオリジナルで作り上げたものだ。時差の影響を受けないセンサーであることが特徴であり、お家芸とも言うべき時計の製造で磨いたクオーツ(水晶振動子)の技術がフル活用されている。セイコーグループでなければ作れないものを作りたかった」
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泉谷 渉(いずみや わたる)略歴
神奈川県横浜市出身。中央大学法学部政治学科卒業。30年以上にわたって第一線を走ってきた国内最古参の半導体記者であり、現在は産業タイムズ社 社長。著書には『半導体業界ハンドブック』、『素材は国家なり』(長谷川慶太郎との共著)、『ニッポンの環境エネルギー力』(以上、東洋経済新報 社)、『これが半導体の全貌だ』(かんき出版)、『心から感動する会社』(亜紀書房)など19冊がある。一般社団法人日本電子デバイス産業協会 理事 副会長 企画委員長。全国各地を講演と取材で飛びまわる毎日が続く。