またも日本人によるノーベル賞受賞が2つも決まり、ついに日本はノーベル賞獲得数で米国、英国に次ぐ世界3位に浮上した。2015年のノーベル賞の日本人受賞は、生理学・医学賞の大村智氏、物理学賞の梶田隆章氏の2人である。平和賞を除いて1つもノーベル賞を取っていない韓国は、またも受賞を逃し地団駄を踏んでいる。ようやくにして科学技術分野で初のノーベル賞を獲得した中国はまさに万歳三唱である。
それはさておき、もし今から150年前にノーベル賞があったとすれば、確実に受賞したと思われる日本人がいる。それは、タヌキ親父としてかつては評判の悪かった徳川家康である。何しろ彼は250年間にわたり日本を鎖国体制下に置き、人々の平和を守った人物であり、これは世界史上類例のないことなのだ。つまりは250年間にわたって外国と戦争することなく、また大きな内戦もないという天下泰平を成し遂げたことになる。これぞノーベル平和賞でなくて何であろう。
しかして家康の生涯を見ていると、やはり長生きしたやつが勝つという当たり前のことが良く分かる。天下分け目の関が原の戦いにおいて、豊臣が率いる西軍は圧倒的に有利であり、家康が率いる東軍はまず勝ち目はないとされていた。結果的に頭のおかしい小早川が裏切ったために西軍は総崩れとなり、家康が勝利する。しかも子供の徳川秀忠が率いる大軍が信州上田城で真田幸隆・幸村父子によって足止めを食い、関が原の戦いに間に合わなかったという事情がありながら、西軍を打ち破ったのである。
この関が原は、戦いが始まる前に、まさに情報戦ともいうべき水面下の駆け引きが多く行われていた。家康は死んだ秀吉の正妻のところにせっせと通い、仲むつまじくなり、一説には情交関係にあったとさえ言われている。いずれにしても、正妻は籠絡され、家康の悪口は言われなくなる。そしてまた家康は加藤清正、福島正則など秀吉直下の大名たちに対し、「俺は戦国生き残りの雄だ。かの上杉謙信ともタメ口をきいていた。また、武田信玄とは五分の戦いをしていた」などと法螺を吹きまくり、彼らの心を家康の方に寄せていくことに成功する。
何しろ、コンピューターや電話、さらには無線通信のなかった時代である。どの戦国武将たちも家康の発言を検証できなかった。関が原の直前には織田信長も豊臣秀吉も武田信玄も北条氏康も、みんなこの世を去っていた。家康などはただのパシリ的存在であったが、何しろ生き残ったやつは強い。嘘八百を並べ立てても信用されてしまう。
「石田三成などは下の下だ。実戦の現場がまったく分かっていない」と家康がしたり顔で、もはや2世、3世になっている戦国大名たちに話しかければ「まったくまことにそのとおりでござる」とうなずいてしまうのだ。こうして家康は関が原以前の段階で水面下の情報戦ですべて勝利していた。
もう1つの家康の凄さは、檀家制度を作って、いわば国民をがんじがらめの状態にしてしまったことだ。家康は若いころに一向一揆に手を焼き、家臣団の半分が宗教に走り敵対するというすごい体験をしている。一向宗の敵対家臣団のトップは本田正信であり、今で言えば組合委員長のトップであったわけだ。しかして家康は苦労苦心の末にこの一揆を克服し、あろうことか、組合委員長のトップたる本田正信を懐刀とも言うべき重職に就けた。これが大成功であった。
徳川幕府の判断は、インテリは全部儒教でいこう、仏教の方は愚民政策で充分という方向を固めた。もちろんキリスト教は禁止である。そうして檀家制度を確立し、坊主たちの生活保障をしてやったのだ。檀家を変えることはできず、信仰を変えることはできない、というありえない状態のまま250年以上も人間を縛りつけた。ヨーロッパが宗教戦争に明け暮れているのに、日本はこの檀家制度により宗教的無風状態を作った。これまた平和を維持するための重要なシステムとなっていったのだ。
徳川幕府を倒した薩長が明治政府を牛耳ったために、徳川家康の姿はかなり歪んで伝えられることが多かった。家康にあくまでも抵抗した真田幸村率いる真田十勇士の講談が当たりを取り、幸村こそ英雄、家康は悪のタヌキ親父という単純な解釈が明治、大正、昭和初めまでは多かった。今の若い人は知らないだろうが、筆者が子供のころは真田の忍者である猿飛佐助、霧隠才蔵などはスーパーヒーローであり、これが家康を苦しめるというドラマツルギーが見事に成立していたのだ。後になって、家康のやってきたことは何としても平和な社会を作り、戦争のない人々の暮らしを守るという一点にあったことを知った。家康自らは粗食に甘んじ、愛人はみな金のかからぬ百姓娘や町家娘ばかり、日常的にはどんなに寒くても足袋を履かなかったという人物である。
さてさて、来年のNHK大河ドラマの主役は真田幸村だと聞いている。天才脚本家といわれる三谷幸喜が家康をどう描くのか、実に興味は尽きない。筆者としては250年の平和を守った男、家康の礼賛ドラマをもっと作ってもらいたいと切に願っているのだが。
■
泉谷 渉(いずみや わたる)略歴
神奈川県横浜市出身。中央大学法学部政治学科卒業。30年以上にわたって第一線を走ってきた国内最古参の半導体記者であり、現在は産業タイムズ社 社長。著書には『半導体業界ハンドブック』、『素材は国家なり』(長谷川慶太郎との共著)、『ニッポンの環境エネルギー力』(以上、東洋経済新報 社)、『これが半導体の全貌だ』(かんき出版)、『心から感動する会社』(亜紀書房)など19冊がある。一般社団法人日本電子デバイス産業協会 理事 副会長 企画委員長。全国各地を講演と取材で飛びまわる毎日が続く。