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第569回

近赤外光免疫療法ががん治療に革新


12月に東京で第1回研究会開催

2024/9/13

学会で講演する小林久隆氏
学会で講演する小林久隆氏
 医師で血液学・腫瘍学博士のシッダールタ・ムカジー氏の著書『がん-4000年の歴史』にあるように、人類とがんとの戦いは長い。がん治療においては最も古典的な手術に加え、放射線治療、化学療法(抗がん剤)が3大治療として確立され、第4の治療法といわれる本庶佑氏の免疫チェックポイント阻害剤に代表される免疫療法、さらに第5の治療法として、NIH/NCI(米国立衛生研究所・米国立がん研究所)分子イメージングプログラム終身主任研究員で、関西医科大学附属光免疫医学研究所所長の小林久隆博士が開発した近赤外光免疫療法(NIR-PIT:near-infrared photoimmunotherapy)が誕生し、がん治療に新たな流れを生み、革新をもたらそうとしている。

多彩な放射線治療装置

 電磁波においては、最も波長の短いγ線を用いた放射線治療装置のガンマナイフが1968年に開発され、脳腫瘍治療などに用いられている。放射線治療装置の中で、ガンマナイフがもっとも誤差が少なく照射精度が高いとされている。次いで波長の短いX線では、強度変調放射線治療(IMRT)や画像誘導放射線治療(IGRT)などが挙げられる。

 放射線において、電磁波放射線のγ線、X線を除く粒子線もまた活用されており、荷電粒子線であるα線、β線、電子線、陽子線/重粒子線と非荷電粒子線の中性子線に分類される。

 外部照射に対し、内部照射では、腫瘍組織に密封した放射性同位元素を挿入する密封小線源治療と、非密封の放射性同位元素を用いて経口薬や静脈注射する核医学治療に分類され、いずれもX線やγ線、β線を活用する。

 また、X線の外部照射では、体の表面近くで線量が最大となり、それ以降は体内を進むに従って吸収される放射線量が徐々に減少するが、陽子線/重粒子線では、体内に入っても表面近くではエネルギーをあまり放出せず、停止する直前にエネルギーを放出して大きな線量を腫瘍に与える性質があり、より正常細胞への影響を低減することが可能である。

 2020年6月、世界に先駆けて日本で「切除不能な局所進行又は局所再発の頭頸部癌」が保険適用となったBNCT(ホウ素中性子捕捉療法)では、中性子線を外部から照射する。がん細胞に取り込まれたホウ素薬剤は、中性子を捕捉し、反応することで、α線とLi反跳核を発生させる。

 これらは、X線やγ線に比べて生物学的効果が2~3倍程度高いとされ、がん細胞のDNAのうち1本の鎖を切断するX線やγ線照射では、DNAが修正され、がんが再発する可能性があるが、α線はDNAの2本の鎖を切断するため、がん細胞はDNAを修復できずに死滅する。つまり、陽子線や重粒子線を使う通常の粒子線治療は、体外から粒子線を照射するのに対し、BNCTは腫瘍細胞のみを対象とする、細胞レベルでの粒子線治療ともいえる。

近赤外光免疫療法と光線力学療法

 電磁波のうち、波長700nmの近赤外光を用いるのが近赤外光免疫療法(NIR-PIT)、波長540~670nmの赤色光を用いるのが光線力学療法(PDT:photodynamic therapy)で、いずれも半導体レーザー光を照射し、あらかじめがん細胞に送達しておいた光感受性物質の化学反応を励起し、がん細胞を殺傷するものである。
 小林氏は、「がん細胞が発現する抗原に結合する抗体と放射性同位元素をがん細胞に送り、そのβ線などによりがん細胞の死滅を狙う方法は正常細胞も被曝することになり、また、放射性同位元素を毒素や抗がん剤に換えて試したものの、肝臓や腎臓などどこかの臓器・組織・器官において毒性が生じ副作用をもたらす。であるなら、毒ではない物質を体内に入れて、がん細胞にくっつくとスイッチがオンになり、毒に変わりがん細胞だけを殺すというアイデアを思いついた」とNIR-PIT開発を振り返る。NIR-PITおよびPDTはともに、使われる光感受性物質および照射する光はそれぞれ人体に無害である。

 ただし、がん細胞の殺傷メカニズムはまったく別のもので、PDTは、レーザー光と光感受性物質との光化学反応によって生成される一重項酸素(活性酸素の一種)の強い酸化作用を利用するが、NIP-PITでは、光化学反応により光感受性物質「IR700」から親水性の側鎖が遊離し、IR700はそれまで保っていた水溶性から一転して強い疎水性、不水溶性となり、抗体および不水溶性となったIR700が結合している抗原(EGFRやHER2など)を引っ張ることでがん細胞膜に小さな傷がつき、がん細胞の内側と外の浸透圧格差により細胞外の水が細胞内に流入し細胞が破裂する。

 PDTは、04年に①早期肺がん、13年に②悪性脳腫瘍、15年に③放射線治療後遺残再発食道がんに対し、それぞれ保険収載されているが、光感受性物質が正常組織に対しても蓄積する腫瘍選択性の課題がある。

免疫力を活性化とがん抗原を記憶

 NIR-PITは、20年9月にやはり世界に先駆けて「切除不能な局所進行又は局所再発の頭頸部癌」を対象に保険収載されており、その3カ月前の同年6月に同じ症例に対しBNCTの保険収載が認められている。また、NIR-PITは米国においても保険収載に向けて治験が進んでいる。

 NIR-PITによる非常に特異的ながん細胞死は、「がんに対する宿主(患者)の免疫力を損なうことがない」ばかりか、多様な腫瘍特異的免疫反応を活性化するというメリットがあり、さらにNIR-PITには繰り返し治療回数に制限がないことから、ワクチンと同様、免疫は繰り返すことによって強化されてよりよくがんを認識できるようになるため、NIR-PITできっちり免疫がついていると、二度と同じがんを発症することはないという。この免疫の強化は、がん細胞を攻撃するリンパ球とは別に、メモリーT細胞というがん細胞の抗原を記憶するリンパ球が作られるためである。

装置300万円、165カ所で治療可能

レーザー光発生装置
レーザー光発生装置
 波長700nmの近赤外光はレーザー光発生装置で発生させる。オーダーメードで製作を委託しても1台300万円程度で、通常、数億円の放射線治療装置や数十億円といわれる粒子線治療装置やBNCTと比較し、格段に安価である。そうしたこともあり、24年8月時点でNIR-PITを受けることができる施設は46都道府県の約165カ所にのぼる。

 なお、700nmの波長は、身体の深部2cm程度までが治療できる限界であるが、照射の方法は、皮膚、食道、膀胱、大腸のがんのように体表面に近いものは、体の外からハンドライトで照射し、すい臓、肝臓、肺のがんのように体の奥深くに発するがんやがんのサイズが3㎝を超えるケースでは、穿刺針を指して光ファイバーを入れることで、体中どこでもほぼ問題なく照射することが可能である。

 NIP-PITの治療成果は論文の集計中で、詳細は省くが、保険収載の「切除不能な局所進行又は局所再発の頭頸部癌」というのは、治療法がほとんどないか、限定された状態であり、頭頸部がんが再発したケースで治療法がなかった患者がNIR-PITにより寛解したとの朗報が寄せられ、また、手術不可能であった症例で手術が可能になるなど、がん治療全体のフローチャートが変わりつつある。

究極の目標はがんの3大治療の代替

 がん治療において、最初の手術に使われたのは、エジプトで発見された紀元前1300年代の腫瘍摘出用のナイフといわれている。その後、ギリシャ、ローマ時代に手術の技術は大きく発展した。また、全身麻酔下による手術は、1804年11月14日(江戸時代)の日本で、医師の華岡青洲が行った。その42年後にアメリカで近代麻酔の歴史が始まった。放射線治療は、1900年に皮膚がんをX線で治療したことが始まりで、抗がん剤は、1946年に開発されたアルキル化剤・ナイトロジェン・マスタードが最初となった。

 この3大治療法は進化を遂げ続けており、「標準治療」として、多くの人命を救い、寿命の延長に貢献しているが、いずれも治療後に患者の免疫力が低下し、身体的・肉体的に大きなダメージを与え、化学療法では副作用をもたらす。また、第4の治療といわれる本庶佑氏の免疫チェックポイント阻害剤に代表される免疫療法では、がんによる耐性の獲得という課題などがある。

 小林氏によれば、がんが発現している各種抗原をターゲットとする抗体は多く存在し、また抗体開発を進めていることから、NIR-PITはがんの8~9割をカバーすることが可能と考えている。小林氏は「当面は、患者数が多く汎用性の高い抗原をターゲットとする薬剤を優先し、まずは、全がん種の7割以上を治療対象にし、多くで完治を目指す」と意気込んでいる。ちなみに、対象に想定していない残りの1割以下は、がんの細胞膜に何の抗原も発現していない、ある意味特異的なタイプであるが、こうした標的のないがんに対しても、標的を作る遺伝子治療の研究は進めている。

 最初の保険収載は「再発」がんであるが、アメリカではNCI/NIHにより「初発」がんへの治験が進む。

 NIR-PITは、がんの8~9割もの適用範囲に加え、多彩な治療との併用が可能である。がん細胞を直接殺傷せずに、大阪大学の坂口志文教授が25年前に発見したTreg細胞をはじめとする免疫抑制細胞を殺傷することや、がん細胞の殺傷との併用も可能である。

 米国では、がん免疫療法との併用が進められている。また、ナノドラッグとの併用も可能で、いずれか単独の治療よりも有意に優れた治療効果を得ている。さらに、がんの3大療法との併用が可能であり、患者の症状に応じて組み合わせや治療法の順番を決める。究極の目標は、治療精度をさらに高め、3大治療が不要となる、まさに「夢の治療」の実現である。

12月に東京で第1回研究会開催

 NIR-PITに関する共同研究機関や大学、提携先は、米国ではNCI/NIHのほか11施設、欧州8施設、日本13施設、アジア3施設にのぼる。

 研究をさらに加速し、普及啓蒙を図るため、24年12月22日、東京マリオットホテルにて、小林氏が発起人となり第1回光免疫療法研究会を開催する。プログラムなどの詳細は事務局のHP(http://nirpit.kenkyuukai.jp/)に掲載されている。


電子デバイス産業新聞 編集委員 倉知良次

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