電子デバイス産業新聞(旧半導体産業新聞)
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第486回

「何者でもない一投手の自分をみんなが導いてくれました!」


ノーヒットノーラン達成の投げる哲学者、今永昇太の言葉の重み

2022/6/17

 筆者は横浜生まれの横浜育ちであり、当然のことながらプロ野球については横浜DeNAベイスターズの熱狂的なファンである。このチームが大洋ホエールズと名乗っていた川崎球場の頃からひたすら応援している。

 ちなみにセ・パ両リーグの12球団がある中にあって、横浜DeNAは最下位になる数がダントツなのである。とにかく子どものころから見ているが、最下位に沈み全くもって勝てないチームであった。しかして悪女に魅入られたかのように、負ければ負けるほど愛は強まるばかりなのである。

横浜スタジアムのBAYSTOREはファンのたまり場
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 それだけに1998年に横浜ベイスターズが38年ぶりの2回目の優勝を飾った時は、甲子園球場にいて少なくとも1時間は号泣していた。いつもいつも勝ちまくる読売ジャイアンツのファンには全くわからない心境だろう。

 それはともかく、Bクラスになることの多い横浜DeNAにあってエースの今永昇太(28歳)が2022年6月7日の札幌ドームで、史上85人目・通算96度目のノーヒットノーランを達成した。何と大洋ホエールズ時代の鬼頭投手以来、52年ぶりの快挙であった。そしてまた札幌ドームでは初めてのノーヒットノーランとなるものだった。

 今永昇太という投手は2015年にドラフト1位で入団し、周囲の期待を多く集めていた。ラミレス監督の時代である。期待にたがわず、今や横浜ベイにとって最後の切り札ともいうべき絶対エースなのである。今シーズンは3勝をマークしており、自身の登板試合は5戦して5勝負け知らずという内容であり、ハマの守護神と言っても過言ではない。

 そしてまた今永は「投げる哲学者」とも言われている。その語録を紐解けば、言葉の深みに驚くばかりだ。例えば好投して負けた時に、記者団が集まりインタビューしたところ、こう述べた。

「負けた投手には何も残らない」

 またある時にこうも言った。

「打線の援護がないという言い訳は、防御率0点台の投手だけが言えることです」

 そしてずっと負け続けていた広島戦でようやく勝ったときのインタビューの言葉も良かった。

「今日は広島ではなく、過去の自分に勝った」

 もっともっと素晴らしいのは、雨天で試合が中止になった時に記者団が今永に対し、好調であるのに雨で中止は悔しいことですね、と声をかけた際に次のような答えが返ってきた。

「こういう梅雨の季節なので、皆さんに日本の四季を楽しんでいただけたらと思います」

 今永という投手は中国の「孫氏の戦略」を何回も何回も繰り返し読んでいる。そして体を丈夫にするためだったらどんなことでもする。セルフコントロールは抜群である。どんなに打たれ続けても全く表情を変えない。そしてノーヒットノーランを達成した折にも、にこりとも笑わず無表情であった。インタビューに対しては、穏やかな表情で笑うことなくこう述べたのである。

「何者でもない一投手の自分をみんなが導いてくれました。ありがとうございました。相手の日本ハムの加藤投手のテンポの良いピッチングにつられてゼロに抑えることができました。この札幌ドームは素晴らしい球場です。マウンドもよく整備されています。本当に感謝です」

 筆者は完全試合やノーヒットノーランの試合はいっぱい見ている。ある時は東京ドームで直に見たこともある。ところが今永のような談話はまずもって聞いたことがない。後からの取材によれば、今永がニコリともしなかったのは、対戦相手の日本ハムのゲームであり、札幌ドームは言わば彼らの縄張りである。それゆえに日本ハムを応援するファンのために、彼らを傷つけないために、笑うことなく静かに引き上げてきた。そしてなおかつ日本ハムが愛する札幌ドームの球場がよく整備されていて、マウンドの状況も素晴らしかったと言って、相手を褒め称える。こんなことができるであろうか。

 今永はコントロール抜群の投手であるが、豪快なスピードボールは全くない。魔球と言われるほどの変化球もない。150キロ前後の直球、カットボール、スライダー、チェンジアップ、カーブを駆使して勝負している。つまりは考えて、考えて、考え抜いて、1球ごとに投げていくので、哲学者と言われるのである。こうした自分の投球術に対して今永はかつてこう言っていた。

「三振をとれる投手ではなく、勝てる投手が良い投手です。力のない人間はただひたすらに練習するしかないのです。」

 今永のノーヒットノーランが教えてくれるのは、何の才能もなく、何の凄まじい技術もなく、ごく当たり前のボールしか投げられなくても、死ぬほどに考え抜いて投げれば勝てるという希望があるということなのだ。浅学非才の筆者にしても、どれだけ今永の投球に励まされてきたかわからない。人間は大きな力を持たなくても、考えて考えて考え抜いて努力をしていけば、活路は開けるということを今永のノーヒットノーランは多くの人に教えてくれたのである。


泉谷 渉(いずみや わたる)略歴
神奈川県横浜市出身。中央大学法学部政治学科卒業。35年以上にわたって第一線を走ってきた国内最古参の半導体記者であり、現在は産業タイムズ社 代表取締役 会長。著書には『自動車世界戦争』、『日・米・中IoT最終戦争』(以上、東洋経済新報社)、『伝説 ソニーの半導体』、『日本半導体産業 激動の21年史 2000年~2020年』、『君はニッポン100年企業の底力を見たか!!』(産業タイムズ社)など27冊がある。一般社団法人日本電子デバイス産業協会 理事 副会長。全国各地を講演と取材で飛びまわる毎日が続く。
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