電子デバイス産業新聞(旧半導体産業新聞)
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第10回

半導体商社はどこから来てどこへ向かうのか!!(その4)


~ASICはゲートアレイからFPGAまで多く登場~

2013/5/31

 さらに数年すると、ビデオの時代が来ます。当初は、VHSとBETAの競争でした。今ならデジタル式のBETAが優位になるのでしょうが、ライセンスの容易さからVHS規格が優位を占めました。しかし、この裏にはもう1つの隠された理由があります。それは、とある成人向けビデオがVHSで発売され、これも大量の違法コピーが出回りました。コピーの出回りと同時に、他にも多種多様な裏ビデオが出回り、これら裏ビデオが出回るとVHSのビデオ機器が売れるという、良い方向の雪だるま式のVHSビデオの拡大が続きます。当に「悪貨は良貨を駆逐する」を見る感じでした。

 このブームの際、いまだビデオ機器はその機能が充分にIC化されていませんでした。そこでトランジスタが使われており、そのトランジスタが不足して奪い合いがありました。海外からの輸入半導体を扱っていた商社では、韓国や台湾の黎明期の半導体メーカーへ発注してトランジスタを輸入するところが出てきています。この1970年代は半導体メーカーもですが、電子部品商社、技術商社には今思えば夢のように拡張していた時代でした。

 このような拡大期を経て、1980年代となります。いまだバブルの時代ですから、景気の良い悪いは今とは違う基準にて判断されていました。やや売れ行きが停滞する時期とよく伸びる時期が4年ごとに繰りかえすとして、「シリコン・サイクル」なる言葉ができてきました。

 この時代に、半導体の使用数量は飛躍的に増加していきます。半導体の販売金額が4兆円を超えたのもこのころで、日本の米の販売額が当時4兆円程度であったことから、「産業界の米」と言われるようになりました。
 半導体を扱うのは、マイコンや、アナログ、品質といった様々なサポートが必要なので総合商社には馴染まず、専門の商社、電子部品商社が扱うというスタイルもこのころに確立されました。

 さらに、1980年代にはICの利用の高度化も進み、セミカスタムIC、ゲート・アレイ(GA)から始まり、スタンダードセル(Std.Cell)、アナログ・セル・アレイ(AA)、といったセミカスタム半導体が出てきました。ICの設計が半導体の製造会社から半導体のユーザーに拡大していく時代でもあったわけです。しかし、どのユーザーも半導体の設計ができるわけではありません。しかも、ちょっとした見逃しで動作しない半導体ができてしまいます。セミカスタムと言っても開発費は高価ですから、なかなかツールを揃えて設計に着手できませんでした。

 そこで半導体を扱う商社で、設計部門を作るところが多くなります。折しも半導体の設計ツールがメインフレームを必要とするレベルから、出始めのワークステーション(WS)でできるレベルへと変換する時代でした。当時の半導体設計ツールの提供社は、メンター、デイジー、バリッドの3社が有名でした。それでも一式で家が一軒買えるくらいの値段がする高価な装置でした。
 これは国内では東芝系列、NEC系列、富士通系列といったように、その販売代理店にICデザインセンターを開設して、各メーカーと共同でセミカスタムICの設計を行う体制となり、現在でも多くの半導体商社に設計部やサポート部門が引き継がれています。

 1980年代の半ばには、高千穂交易へ出資話が持ち込まれました。セミカスタムICの代替を狙い、GAの一種のセル・アレイに似た構成のシリコンを作り、そのセルの機能とセルの間の配線をアナログSWで切り替える、というアイデアでした。持ち込んだのはXILINX社、つまりFPGAのアイデアを持ち込んだのでした。残念ながら、この時の投資依頼の資料は出来が悪く、高千穂をはじめとする日本企業はこの投資に乗りませんでした。その理由は多々ありますが、当時は「EPROMをプログラムして内部のセルの機能を設定する」とありましたから、プロセスが無いのにどうやって作るのかということで日本では誰もFPGAに取り組まなかったことになります。もし、どこかの半導体商社があの時の計画に乗っていたら、FPGAの世界の業界地図は違っていたかもしれません。

 その後、ご存じのように、FPGAが実用化されると瞬く間に電子業界に広がり、日本が得意とするFAや自動機などの少量多品種に使われて大きく発展します。

 これとほぼ同時期に、米国シアトルにて、シアトルシリコン社がシリコンコンパイラーを発表します。機能を定義書に書き込むと、その機能のインスタンスが作られるという物で、「スタンダードセルでライブラリが無いということがなくなる」としていました。
 しかし、この方法が発達する前に、FPGAにも使え、GAのシーオブゲートをサポートできるVerilogが、そしてVHDLが出てきます。これで論理回路の業界はまた、新たな段階になります。

 10万ゲートを使うICの設計を回路図から行っていては、なかなかバグが取り切れません。筆者は米国のモトローラを訪ねた際に、設計中の68000のレイアウト図を使っての修正を見たことがあります。四畳半くらいの大きさの紙に記載されたゲート・レベルの回路のあちこちに旗が立てられていて、それらがバグを表していました。
 この方法では速やかな完成が望めないところへ、Verilogによる言語設計が出てきて、コンピュータの進化もあって、100万ゲート超のICの設計が可能になりました。

 このFPGAの普及によって、半導体商社にも少なからぬ影響が出ました。もともとGAをサポートしていた商社は、FPGAもサポートできます。このような商社は、海外のFPGAメーカーにしてみれば、極東のためのサポートに米国の貴重なリソースを割かなくてよいので願ったりかなったりでした。そして日本にFPGAのメーカーが無かったので、日本の半導体メーカーの系列であってもFPGAは扱うことが可能でした。

 FPGAを扱い、得意とする半導体の商社が数社出てきて、好決算を上げていきます。また、従来のマイコンの開発を得意とする商社もあり、各商社の戦略においては、同じ商社と言っても規模だけでなく、扱う半導体メーカー(ライン・カード)の違いでその差がはっきりとしてきます。(続く)
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